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昨年夏、「砂糖文化を広めた長崎街道〜シュガーロード〜」が、日本遺産に認定されました。日本遺産は、文化庁が日本各地の有形・無形の文化財群を語るストーリーを認定し、それを発信することで地域を活性化しようという事業です「。シュガーロード」も、長崎街道の歴史や風景とともに、400年以上もの時をかけて発展してきた砂糖や菓子の文化に触れられるというストーリーが提示されました。
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日本における砂糖の記述は、奈良時代から見られますが、大量の砂糖が輸入され、一般の人の口にも入るようになったのは江戸時代のこと。宝暦年(1759)には今の金額で億円相当の砂糖が輸入されたと記録されています。
鎖国のため唯一の貿易窓口であった長崎の出島に荷揚げされた砂糖は、多くが海路で大坂へ、そこからさらに京、江戸へと運ばれました。
一方、陸路も、海外からもたらされた多彩な物産を運ぶため、長崎と豊前国小倉(現在の北九州市小倉北区)を結ぶ長崎街道が整備されました。街道沿いの佐賀藩と福岡藩には、長崎港の警固にあたる代わりに輸入品を買い入れる特権が与えられたため、砂糖が入手しやすく、また菓子の製法なども伝わり、独特の食文化が花開いていきました。これが、長崎街道が別名「シュガーロード」と呼ばれる所以です。
長崎の「カステラ」や佐賀の「丸ぼうろ」、福岡の「鶏卵素麺」などがスペインやポルトガルにルーツをもつ南蛮菓子であることは、ご存じのとおり。さらに、諫早の「おこし」や小城の「羊羹」、北九州の「栗饅頭」なども、豊富に手に入る砂糖があってこそ生まれた菓子です。
なお、日本遺産を構成する文化財群の中には、長崎街道の面影が残る町並みや長崎の唐寺・興福寺などの史跡に加え、村岡総本舗の本店および砂糖貯蔵庫や製造道具を展覧する羊羹資料館、丸芳露本舗北島の菓子製法文書も挙げられています。
北部九州に点在する個性あふれる菓子を街道という線で結び、さらに歴史や文化へと関心を広げていくと、銘菓を巡る旅はいよいよ楽しくなりそうです。

*日本遺産ポータルサイト https://japan-heritage.bunka.go.jp/