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銘菓の装い

伊勢[おかげさまです三百年]

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伊勢神宮とお伊勢さん

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おはらい町。内宮へ向う人の波が続く。車時代になってさびれかけたおはらい町(内宮門前町)は、昭和50年代からの町の人々の努力で、往時を彷彿とさせる町並みを取り戻し、にぎわいが復活した。

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伊勢のしめ飾り。伊勢では、玄関に「蘇民将来子孫家門」「笑門」などの文字を書いた木札をつけたしめ飾りを正月にかけ、一年中飾っておく。

 伊勢神宮は、昔から天子様が参拝する一方、落語に出てくるような八っつぁん熊さんまでもが押しかけた、不思議な神様である。伊勢神宮でありながら、お伊勢さんでもあるのだ。
 有名な「おかげ参り」は江戸初期に始まり、大ブームは4度あったといわれるが、最も大規模だった年には400万人以上もの人々が、伊勢へ伊勢へと参詣したという。当時の日本の人口が約3000万人というのだから大変な率である。奉公人が勝手に職場放棄をして、着の身着のまま伊勢に出かけてしまう「抜け参り」も盛んに行われた。
 また、幕末の慶応4年に起こった「ええじゃないか」は、集団で「ええじゃないか、ええじゃないか」と踊り狂いながら伊勢へと向かい、洗濯をしていた主婦が突如それに加わるというありさまで、群衆はどんどんふくれあがった。その数は200万とも400百万ともいわれる。
 現代では、さすがにそんなことは起こらないだろうが、しかし、神宮への参拝者数は年間600万人余。民衆の伊勢参りの勢いは、衰えることなく続いている。「菓子街道を歩く」となれば、当然、伊勢神宮ではなく、庶民のお伊勢さんの話であることは、いうまでもない。

外宮から内宮へ

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内宮の御手洗場。五十鈴川のほとりに設けられた御手洗場(みたらいば)は、お祓いの場所で、参拝を前に手を濯ぎ、身を清めるところ。

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外宮正殿。4重の垣に囲われていて、見えているのは板垣南御門。一般の人が入れるのはその内側の外玉垣まで。

 ともあれ、伊勢まで来たら、なにをおいても、まずはお参りである。
 伊勢神宮は、正式には単に「神宮」という。大きく内宮(皇大神宮)と外宮(豊受大神宮)に分かれ、両社の距離は4kmばかりあるが、この両宮を参拝しないと伊勢参りをしたことにはならないという。そこで、外宮へ。
 外宮は、伊勢市駅から歩いて5分ほどのところにある。左手にかすかに池の水を見ながら巨木の中の参道を歩くと、300mほどで板垣南御門の前に着く。ここで参拝する。御門の前は平地で、大木からしきりに落ちてくる杉の葉を、神官の方々が拾い集めていた。
 内宮へは、外宮の前からバスで行ける。猿田彦神社経由で、内宮前まで約15分。
 宇治橋を入れると、参道は約600m余り。まず、いつに変わらぬ五十鈴川の美しさに見とれながら、宇治橋を渡る。境内の道を歩き、斎館の横を過ぎると、今度は御手洗場で、五十鈴川の川べりに立つ。巨大な錦鯉が神の化身のように泳いでいるところだ。
 内宮の板垣南御門の前は、石段になっていて、登りきって参拝する。

赤福という餡餅

 伊勢でお伊勢さんの次に有名なものといったら、赤福であろう。赤福は、名所の名物にして、店自体がまた名所だ。外宮、内宮と参拝したら、摂社、末社はいずれまたと、赤福本店参りにかけつける人も多いはずである。
 赤福の創業は、宝永4年(1707)と古い。富士山が大噴火した年だ。創業者浜田治兵衛から数えて10代目の現当主は、浜田益嗣さん(65歳)。赤福の伝統を現代に生かした人で、その経営戦略は、しばしば経済界でも話題を呼んでいる。
 赤福餅は、搗きたての餅に三筋の指跡をつけた餡がのった菓子だ。指跡は、五十鈴川の流れを表すという。大きさ、餡の色など、まことに品がよく、伊勢みやげにふさわしい。あっさりした餡の甘さ、餅が2、3日は柔らかさを保つのもありがたく、しかも廉価である。
 おいしさの秘密は、まず材料の吟味。モチ米は餅のだれやすい夏は佐賀米を、かたくなりやすい冬は北海道の米を用い、小豆は十勝、砂糖は特注品と、配慮が細かい。餅と餡は、朝熊山麓の本社工場1カ所だけで伏流水で加工。商品は作ったその日だけ売り、売れ残りは廃棄する。そして販売は、お伊勢参りのみやげという原則を通し、西は大阪、東は名古屋までと地域を限り、伊勢への玄関口まで、という考え方である。

おかげ横丁とおはらい町

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おかげ横丁。おはらい町の一角に、赤福が140億円を投じて建設したなつかしい伊勢の町。江戸〜明治期の木造建築19棟を再現、平成5年にオープンした。

 赤福の名は、まごころから福を慶ぶという意味の「赤心慶福」から取り、店はその精神をもてなしに生かしている。驚いたのは、女将自ら、1年365日、毎朝4時に起きて本店のかまどに火を入れるという話だった。赤い色をした丸いかまどでは、今でも薪で湯を沸かし、お客さんにお茶をふるまっている。
 本店は、伊勢商家の典型的な建物といわれる木造建築で、中に入ると、昔ながらの茶店風。店の奥の座敷は五十鈴川に面しており、静かなひとときを過ごせる。
 店の向かい側には、さまざまな店や小美術館、芝居小屋や太鼓やぐらなどがひしめいてにぎわう一角がある。これが「おかげ横丁」で、江戸から明治にかけての建築物が移築、復元されて、伊勢路らしい雰囲気を創っている。
 店に並行する通りは、おはらい町通りと呼ばれている。かつては、お伊勢参りの旅人が必ず通る旧参道の一部だったが、車の時代を迎えて人通りが減少。危機感を抱いた町内が協力して町並みの復旧、保全に乗り出した。その中心となり、率先して景観を損なう自社ビルを壊し、核となる「おかげ横丁」を建設したのが、赤福である。
 効果はてきめん、お伊勢参りに来て、この町並みを歩かずに帰る人はいないほどだ。

かつては伊勢の台所

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伊勢河崎商人館。全国から参拝客が押し寄せる伊勢の台所を引き受けていた商人の町・河崎町。その町づくりの拠点として、平成14年夏にオープンした。

 伊勢にはもう一カ所、古い町並みを保存しているところがある。外宮よりもさらに海寄り、勢田川沿いの河崎町で、かつては「伊勢の台所」として栄えたという。港から勢田川を使い、舟で米や魚がここに運び込まれた。その面影が川沿いの通りに残っていて、NPOなどが積極的に蔵などの保存に取り組んでいる。
 伊勢で時間のある方は、ぜひ立ち寄りたい界隈である。
 五十鈴川駅までタクシーに乗ったら、「お客さん、今度来たときには、猿田彦神社にもぜひお参りしてよ。ほら、家なんかの方位の神様。今、あすこのお参りも盛んだよ」と言われた。降りてから、あれは猿田彦神社の親類に違いない、などといって笑ったが、思わず自分の家の玄関の向きを思い浮かべてしまった。

赤福本店

三重県伊勢市宇治中之切町26 TEL : 0596(22)2154

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屋根の断面の側に玄関がある、切り妻・妻入り造りは、伊勢商家の典型的な様式。明治10年の建築。

  

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赤福餅。この餅ひとつで、約300年。絶対の人気を誇る。

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本店店頭のかまど。店で赤福餅を食べるお客さんにお茶を出すための釜を据え、薪
を焚いて湯を沸かしている。