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新宿は東京を代表する繁華街でありオフィス街。西新宿には都庁をはじめ、超高層ビルが建ち並び、都会的な風景をつくっている。 |
新宿は山の手
マンモス駅、新宿の鼓動のようなにぎわいから少しはずれて、花園神社あたりまで行くと静けさがただよう。東参道の入口から、道をはさんで「花園茶寮」が見える。ああ、ここは南から北へ下り坂になっているんだな。そんなことにも気づいた。
新宿に続々とデパートや映画館が登場したのは、意外に早く、大正時代であった。この新宿の繁華街化は、もともとは麹町の盛り場が四谷に移り、それがさらに新宿に移ったものだといわれている。つまり、新宿は東京の山の手の人々のための遊び場という一面をもっていた。
甲州街道と青梅街道の分岐点に、元禄11年(1698)、内藤新宿という宿場がおかれたのが新宿の起こりであることは周知のとおり。ただ宿場にはなっても、当時、付近の土地は大名家の用地で占められていた。内藤新宿の地名にしてからが、一帯が高遠藩内藤家の用地であったことから出ている。大久保から三光町におよぶ広大な土地は、尾張徳川家が用いていた。
東京の山の手とは、大名や武家の屋敷跡に、明治になって官吏などが住むようになったところをいうのである。
新宿は山の手であった。そう考えれば、大正から昭和初期にかけて生まれた新宿の文化的な雰囲気が理解できる。山の手人向けの店が次々に進出した。お菓子の老舗も、その一つである。
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新宿の東側はデパートや専門店、飲食店などが密集する繁華街。新宿エリアの駅の利用者は1日約400万人ともいわれる。 | 新宿御苑。江戸時代には高遠藩内藤家の下屋敷があった場所で、明治期に宮内省が管理。戦後は、一般公開する公園となった。1万本以上の樹木が植えられ、春には桜の名所としてもにぎわう。 |
金沢から東京へ
現在、新宿の和菓子の老舗として名高い花園万頭は、昭和5年(1930)、赤坂から花園神社の東鳥居前に店を移した。社名ともなっている「花園万頭」と「ぬれ甘なつと」は、全国に知られる銘菓である。
現在の社長は7代目の石川一弥さん(昭和39年生まれ)。石川社長に、お店の歴史をうかがった。
「私のところは、出身が金沢です。初代の石川弥三兵衛が天保5年(1834)に金沢で石川屋本舗という菓子屋を始めました。その後、3代目の石川弥一郎が、明治39年(1906)に東京に出てきたんです。最初は青山に店を開き、大正時代の赤坂を経て、昭和5年に新宿の現在地に移りました。三光町の地名で親しまれたこの地は、加賀藩の御用地だったと聞いています。旧主の前田家とのご縁で、ここに店を持つことになったのです。
3代目は工夫を重ねて創製した饅頭に、花園神社にちなんで『花園万頭』と名付け、社名も花園万頭と改めました。当時、饅頭はひとつ1銭が常識でしたが、1個2銭にし、『日本一高い、日本一うまい』をキャッチコピーにして売り出したのです。
弥一郎は饅頭作りに心血を注いだようで、『万頭とともに寝て、万頭とともに起きよ』と言ったと聞いています。梅翁と号して、茶道、書道、俳句などもたしなんだ人でした。
その3代目が建てた店は、戦災であとかたもなく焼けてしまいました。一家は金沢に疎開し、戦後また再出発したのです。
幸い、戦後に出した『ぬれ甘なつと』が口コミで広がり、ヒット商品になりました。5代目の石川利夫が現在の本店ビルを完成させたのが昭和42年。喫茶店『花園茶寮』を開店したのは、平成元年です」
花園神社は、三光院という真言宗の寺に属していたもので、三光町という地名はこの三光院から起こっている。
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花園神社。尾張徳川藩の屋敷内にあった稲荷神社を、のちに真言宗の寺・三光院が管理するようになり、祭神も変わったものといわれる。酉の市のにぎわいは、都内有数である。 | 江戸時代には甲州街道と青梅街道の分岐点だった新宿3丁目の交差点。歩道上に「新宿元標 ここが追分」の標識がある。 |
夢のコラボ
新宿は東京でも最もパワフルな街だが、それだけに変化も激しい。その新宿で80年間、花園万頭は「日本一高い、日本一うまい」という菓子作りのポリシーを守ってきた。もちろん、それができたのは、新宿を拠点に、全国に花園万頭の愛好家を獲得してきたからだろう。
石川社長は語る。
「伝統を守るだけでお客様の支持がいただけたとは思っていません。常に新しいものを作り出す努力は続けているつもりです。要はまともな仕事をするかどうかです。まともに商売をすることと、売れさえすればいい、と考えることとは違います。正直者がバカをみるという世の中ではいけないと思うんです。
たしかに和菓子の味わいや魅力を知らない方が多くなってきています。しかし、だからこそ、価値のあるものを知っていただきたい。知っていただくためには、あくなき努力を続けるしかないと思っています」
花園万頭のお菓子は「花園万頭」と「ぬれ甘なつと」だけではない。季節の生菓子、「花園羊羮」、さくらんぼや青えんどう、錦玉などが入った「福よせ最中」、焼菓子の「花園春日山」など、他の銘菓も逸品揃いである。なかでも「ぬれ甘なつと」をチョコレートでコーティングした「ぬれ甘チョコつと」は、話題を呼んだ。
「ぬれ甘チョコつと」は和洋の材料によるコラボレーションだが、花園万頭では、そのレベルだけでなく、洋菓子ブランドとの踏み込んだコラボレーションも行ってきた。ポンパドウルとはパンを、フルーツの高野とはケーキを共同開発している。今後も、この方向を推し進める方針だ。
「新宿でも、若い人々の間では、和菓子は洋菓子に押されているのが現状です。しかし、それじゃあ洋菓子を作ろうというのではなくて、和菓子の質を落とさずに、和洋の新しいブランドを新宿でつくり出したいと思っています」
お話をうかがっていて、お菓子というものには夢がなければならないということを脈絡なく考えた。山の手のお嬢さんたちが伊勢丹あたりで買い物をして、ちょっと足を伸ばし、花園神社の近くで素敵なお菓子を見つける。山の手新宿の原点は、そういう光景にあるのではないか、と思ったのであった。
花園万頭
東京都新宿区新宿5-16-15 03(3352)4651
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花園万頭 | ぬれ甘なつと |
知っていただきたい。
そのためには、あくなき努力を続けるしかないと
思っています」