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銘菓の装い

長岡 先見の城下町と「銘菓」


市内の「摂田屋」地区は、味噌や醤油、酒の蔵元が多く残る“醸造の町”。見事な鏝(こて)絵が蔵の壁を彩る「機那サフラン酒本舗」(写真上)や、味噌・醤油の老舗「星野本店」の3階建ての衣装蔵などの見どころが行く先々にあらわれる。

越後の城下町「長岡」

 東京から上越新幹線でわずか1時間20分。長岡駅までの時間距離はずいぶん近かったが、一歩降りると、北国らしい凛とした空気に迎えられた。
 江戸時代に7万4千石の城下町として栄えた町だ。まず、駅構内の観光案内所で長岡城の場所を尋ねてみる。
「ここです」
 はい?
「この駅の場所が本丸でした。立派な平城でしたが、北越戊辰戦争で焼失したので、跡地に駅が造られたんです」と窓口の女性。なるほど、駅前のメインストリートの名が「大手通り」。本丸に向かう城門・大手門につながる道だったことからのネーミングだ。
 その大手通り沿いに洒落た姿を見せるのが、「アオーレ長岡」。2012年にできた市役所・議場・アリーナ・交流スペースの複合施設で、隈研吾氏が地場産の杉の間伐材を多用してデザインしたという。なんと、ガラス越しに市職員の様子や議場の中が丸見え。「市民への可視化のため」って、ユニークだ。
 市街地を歩くと、長岡の歴史を伝える公園やモニュメントや記念館が点在する。
 幕末の北越戊辰戦争を率いた河井継之助。敗北後の窮乏時に教育の大切さを説いた(米百俵の精神)小林虎三郎。そして、近代においては長岡空襲、花火大会……。いくつものキーワードを持つ町だ。

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長岡の新しいシンボル「アオーレ長岡」。   寳生寺の木喰仏。江戸時代に全国をまわりながら、独特の微笑みをたたえた仏像を残した木喰上人。長岡でも、この寺で三十三観音像を彫り上げた。32体が安置されている。

銘菓、お殿様を癒す

 越乃雪本舗大和屋は、駅から南西へ1キロ余り、かつての商人町にあった。切妻屋根に黒板塀。入口の引き戸を開けると、陳列ケースの向こうが畳敷きだ。今では珍しくなった「座売り」形式である。
「昔ながらの製法で、永く『越乃雪』を作り続けてまいりました」と、10代当主の岸洋助さん(昭和19年生まれ)がおっしゃる。「永く」が指すのは、「もうすぐ250年」とのことで、おそれいる。
 長岡藩主になる者は江戸で教育を受ける。江戸後期、9代藩主・牧野忠精が17〜18歳でお国入りし、長旅の疲れから体調を崩した時、大和屋庄左衛門が寒ざらし粉(もち米を水挽きし、脱水、乾燥させた粉)に和三盆を加えた菓子を作って献上する。すると、ほどなく病が癒えた。〈実に天下に比類なき銘菓なり。これを当国の名産として売り拡むべし〉と忠精が絶賛し、「越乃雪」の名が贈られたと伝わる。
「落雁でありながら、落雁ではないお菓子です。お一つ、どうぞ」
 光さす雪原のように輝く越乃雪を口に入れると、舌の上でほろほろと溶け、雅やかな甘みが口中にまあるく広がった。
「大和屋はもともと長岡藩出入りの金物屋でしたが、庄左衛門は江戸遊学中に菓子屋で修業したこともあったので、作ることができたようです」
長岡藩の藩訓は「常在戦場」。「常に戦場にあるの心を以って、ことに処す」という意味だ。水田開発に励むと共に倹約を奨励するなど先を見る藩と、それに共感し、実行する人々。今の言葉で言うと「協働」の風土の中で文化的素養が重んじられ、茶道も盛んに。越乃雪は土地の茶人に愛されたばかりか参勤交代のお土産となり、全国に広く知られていく。大和屋は、やがて菓子専業となる。
 店は信濃川の支流、柿川の脇に建つが、それには訳がある。かつて和三盆は徳島から大阪を経て北前船で新潟へ、さらに信濃川、柿川と舟で運ばれてきたためだ。
 柿川沿いに大和屋の砂糖蔵があった。「子どもの頃、川から甘い香りがした」と、大正生まれの先代から岸さんは聞いている。

楽しきかな、わ・が・し


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こはくのつみき
 
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越乃雪   こしひかりサブレ


 おや? ショーケースに異彩を放つ菓子が並んでいる。色は淡いピンクや黄色、水色など。形はあたかも積み木、クレパス、おはじき、万華鏡。「おさとうのまほう」と題されたシリーズである。これらの担当は、専務取締役の岸佳也さん(昭和55年生まれ)。
「2018年に日本橋三越本店で開催された全国銘菓展のテーマ『楽しきかな、わ・が・し』に合わせて考案したのが最初です。若い人たちに和菓子の魅力を伝えたくて」
 佳也さんは岸さんの次女、容子さんの夫だ。夫婦と、デザイナーの長女、高波智子さんの3人でアイデアを出し合い、職人たちと試行錯誤を重ねて出来上がった。砂糖と寒天が主原料。カワイイ!
「専務から新発想を聞いたとき、面白いと手放しで賛成しました」と岸さん。親子の信頼関係をベースに、次世代が奏功。大人気となって、定番商品に加えられたのだ。
 佳也さんの経歴がふるっている。秋田出身で、大学院ではバイオテクノロジーを専攻。「久保田」で有名な朝日酒造に勤め、同社の茶道部に入ったことから容子さんと知り合い、8年前の結婚を機に大和屋に入社した。
「まったく初めての世界でしたから、入社後2年間、夫婦で京都の老舗和菓子店へ修業に入らせてもらったんです。京都では多くの古刹や美術館を訪れて、和の感覚を学ばせてもらいました」
 そうした経験が「おさとうのまほう」シリーズを生み出しました? と聞くと、一瞬の沈黙の後、佳也さんはおもむろにこう答えた。
「たとえば、養源院の杉戸絵。俵屋宗達の白象図が強烈です。奇抜だけど素晴らしいですよね。大和屋も芯の部分に『越乃雪』があるから、遊び心のあるアイテムが加わっても揺らがないと思うんです」
 城下町・長岡は、戊辰戦争と長岡空襲で焼き尽くされたため、町の佇まいに往時の面影を求めるのは難しい。されど、先を見る気風がここにも確かに受け継がれている。
 夕刻、「越乃雪」と「こはくのつみき」を手にゆっくり歩いて駅へ戻る。その途中、新旧の民家が並ぶ街路が、茜色の見事な夕焼けに包まれた。

越乃雪本舗 大和屋

新潟県長岡市柳原町3−3
TEL :0258-35-3533

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私どもの家訓は、
「家業を楽しむべし」。
その深い意味を
噛みしめながら、
これからも
人に愛される菓子を
創っていきたいと
思っています。

       岸 洋助


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文・井上理津子(ノンフィクションライター。
近著に『絶滅危惧個人商店』〈筑摩書房〉、『葬送の仕事師たち』〈新潮社〉ほか)



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ぜひ、おいしくて心にしみる「菓子街道」の旅をお楽しみください。