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地上約90mの「さっぽろテレビ塔」展望台から中心部の街並みを眺める。足下の大通公園は通常、夏にはビアガーデンに。ジャズイベントも開催される。 |
開拓で生まれた街
抜けるような青い空に綿雲が浮かび、碁盤目状の広々とした街並み。彼方になだらかな稜線。あっ、その中に一直線の緑。あれは、大倉山ジャンプ場だ。さっぽろテレビ塔の展望台で札幌の街の広大さと美しさに息を呑み、そして今回の旅が始まった。
テレビ塔が立つのは、街の真ん中に位置する大通公園だ。幅105メートルものグリーンベルトが1.5キロも続く。人口約200万人の大都市なのに、この開放感。素晴らしい。
「島さんのおかげです」とベンチでランチ中のOLが言った。
今も多くの市民に「さん」づけで呼ばれる、町づくりの第一の恩人・島義勇(よしたけ)は、明治2年(1869)に札幌に来た開拓判官。街を南北に分け、北を官庁街、南を住宅・商店街とする計画を立て、防火帯として幅100メートル超えの大通公園を設けたそう。
その大通公園の周辺に開拓使の遺構が点在する。
札幌市時計台は札幌農学校(北海道大学の前身)の演武場として明治11年(1878)に建てられた。アメリカ中西部の開拓期に流行したコロニアル建築風の佇まいが有名だが、館内に入らなければ。2階の演舞場は空間を広く取るために、柱や梁を使わない造りで、洋風建築技術を手探りで学び設計した開拓使工業局の技師たちの苦心が偲ばれる。
赤れんがの北海道庁旧本庁舎はアメリカ風ネオ・バロック様式。出窓上部に見られる装飾「五稜星」は、北極星をモチーフとした開拓使のシンボルだ。
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設計当時の姿で時を刻み続けて140年、日本最古の塔時計だ。時計機械は米ボストンのハワード社製で、札幌を流れる豊平川の玉石を動力に用いた振り子式。毎正時に、鐘が鳴り響く。 | 円山公園にある北海道神宮は、大国魂神(おおくにたまのかみ)、大那牟遅神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)、明治天皇を祀る。開拓者を励ます目的で創建されたことから仕事運や勝負運が上がるとされ、参拝者が絶えない。 |
今年で創業100年
札幌駅からまっすぐ南に延びるメインストリート・大通には、百貨店、専門店、レストランなどが集積している。銀座と遜色ないが、札幌ならではの店に出会えるのが嬉しい。
「札幌千秋庵」もその一軒だ。2020年に竣工したビルの1階。レンガとスモーキーなガラスの外観にギャラリーと見紛いそうだが、北海道を代表する和菓子の老舗だ。
店内に足を踏み入れると、あら? 水の音が聞こえる。地下90メートルから湧く水が心地よい音を醸していたのだ。迎えてくれた社長の庭山修子さん(昭和31年生まれ)が、 「弊社の菓子作りも、ずっとこの水を使っています」とおっしゃる。ミネラルたっぷりの天然水が隠し味なのだろうか。
ロングセラーの洋風煎餅「山親爺」、看板銘菓「ノースマン」、色とりどりの季節の菓子などが品良く並ぶ店内の壁に、年季の入った干菓子の木型が飾られている。はたまた創業以来の本店の建物や工場で働く初代と2代目のモノクローム写真が並ぶ一角もある。老舗を身近に感じさせる仕掛け。しゃれている!
札幌千秋庵は今からちょうど100年前の大正10年(1921)、庭山さんの祖父、岐阜県出身の岡部式二さんが創業した。明治の終わりから東京で修業し、腕利き職人となって名を馳せていた式二さんを、小樽千秋庵(当時)の主人が招聘したのだ。「来年、1918年に北海道開道50年記念の北海道博覧会が札幌で開かれる。出品するのに、あなたの力を借りたい」と。
1年くらいならと旅行気分ではるか北の大地にやって来たが、首尾よく博覧会が終わっても、各方面から「残ってください」コールが止まず、札幌で店を構えるに至ったのだ。
式二さんが作る、ときに洋菓子のエッセンスも加えた菓子が「新しもの好き」の札幌人の心をつかんだ。店はにぎわい、昭和5年(1930)に新築した店には、いち早く喫茶店を併設。バターとミルクをふんだんに使った「山親爺」は、この新しい店の誕生を記念して作った菓子だ。戦争中は辛酸を舐めるも、戦後を長男卓司さん(庭山さんの父)と二人三脚で駆け上がる。
「祖父は職人たちが作った上生菓子の出来が悪いと、拳骨でつぶしていました。売らせなかったんです」
式二さんの職人気質は、昭和39年(1964)に売り場面積日本一の店舗となり、従業員が増えても変わらなかった。試行錯誤し、新たな菓子も開発。お使いものに、ハレの日の我が家用にと、千秋庵の菓子は札幌の家庭に大いに受け入れられた。
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女性の目線で
時は流れる。多くの同業他社の台頭、スイーツの多様化。8年前、突然、社長に指名された当時はひどい経営状態だったと明かす庭山さんはこう話す。
「これから必要なのは、お買い物をしてくださる女性目線での菓子作りだと思ったんです」
大改革が始まった。パイで小豆餡を包んだ銘菓「ノースマン」に、女性好みのかぼちゃ餡やメロン餡など季節限定バージョンを加えてヒット。並行して、「山親爺」を始め、すべての菓子のパッケージデザインの見直しを行った。
「当店の菓子のシンボルにもなっている子熊のキャラクターも表情を変えたんです。目をぱっちりと愛らしく明るくして」
そうした大改革の集大成が、このしゃれた店だったのか。
「いえ、『伝統と革新』をテーマに、まだまだこれからです」
店内の一服スペースでそんな話を聞き、焼き立てのノースマンを頬張る。しっとりした餡とサクサクしたパイの和洋混合の口当たりが、なんとも味わい深い。
千秋庵をあとにし、北海道の総鎮守・北海道神宮に足を延ばした。杉がすっくと伸びる境内を歩いていると、末社に間宮林蔵ら北海道開拓の功労者が祀られているのが目にとまった。
札幌は、岡部式二さんが菓子を出品した大正7年の北海道博覧会を機に、市街地に電車が通り、道や商店、宿泊施設が整備され、都市として飛躍した。市民に「札幌に対する誇り」も生まれたとも語られる。
開拓時代の人たちが拓いた札幌の地に、式二さんほか無数の人たちがさまざまな文化を運び込んだおかげで札幌の街が造形されたのだと、確として思った。
札幌千秋庵(本店)
北海道札幌市中央区南3条西3丁目
TEL :011(205)0207
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店内 | 焼立てノースマン |
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山親爺 | 好きです。sapporoチーズクッキー |
文・井上理津子(ノンフィクションライター)
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ぜひ、おいしくて心にしみる「菓子街道」の旅をお楽しみください。
千秋庵のお菓子を1人でも多くの方に知っていただきたい。
だから、もっとおいしくもっと親しみやすく !
前を向いて、こつこつ努力していきます。