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銘菓の装い

三原堂本店東京の下町の心意気

山寺。正しくは宝珠山立石寺といい、860年に開山した天台宗の名刹。写真右が開山堂、左の納経堂は山内で最も古い建物。山形駅から山寺駅までは電車で20分ほど。


紅花の商都

閑さや 岩にしみ入る 蝉の声
 誰もが知るこの俳句は、山形市の立石寺、通称「山寺」で松尾芭蕉が詠んだ一句である。全国に景勝地はあまたあるが、観光客が俳句とともに風景を味わうような場所は、他にないのではなかろうか。
 山形市は人口24万3千人。山形県の県庁所在地で、山形城跡を整備した霞城公園が街の核。その東側に公共施設が集まっている。かつての県庁を改修し公開している「文翔館」(国の重文)もその一つだ。
 この文翔館からまっすぐ南に延びる道路が、昔も今も街のメインストリート。江戸時代、山形に繁栄をもたらした紅花商人の屋敷を利用した「山形まるごと館 紅の蔵」や、城下を潤していた用水の堰の一つ「七日町御殿堰」などの観光施設もこの道沿い。また、百万人の見物客が押し寄せる夏の「山形花笠まつり」も、紅花を飾った笠を手にした踊り手がここを練り歩く。
 お土産は「乃し梅」で間違いない。「乃し梅本舗 佐藤屋」もこの通りに店を構えている。風格ある佇まいだが、黒い軒瓦が小さく会釈するように張り出して人を招いている。
 8代目主人・佐藤慎太郎さんを訪ねて暖簾をくぐった。

佐藤慎太郎さん
「乃し梅本舗 佐藤屋」社長、佐藤慎太郎さん。
昭和54年(1979)生まれ。2019年に8代目を継承。2児の父。

紅花と「乃し梅」

——創業はいつの頃ですか?
佐藤「薬屋の次男に生まれた初代松兵衛が、この場所で菓子屋を始めたのが文政4年(1821)と伝わっています。どんな菓子を扱っていたのかはわかりませんが、菓子とは別に気付け薬として『乃し梅』を製造販売していたそうです」

——薬の「乃し梅」?!
「梅の酸が気付けに効くのでしょう。山形は江戸時代に紅花で栄えましたが、紅花から色素を取り出す時に梅が使われました。ですから材料には事欠きません。薬の乃し梅は、紅花とともに山形の特産品として広く知られていたようです」

——その、薬の乃し梅を菓子にされたのは?
「3代目です。菓子として成形するには寒天を使いたいところですが、寒天は酸が加わると固まりません。それを2日ほど天日干しすると固まることを発見したのが3代目です」

——現在、乃し梅はどのように作られているのですか?
「梅肉と水飴、溶かした寒天を合わせてガラスを張った木箱に薄く流し、乾燥室に入れて2日間干します。それをはがして切り揃え、竹の皮で挟んで出来上がりです」

——昔と違うのは……。
「天日干しが機械乾燥になっただけです。乃し梅に似た菓子は全国にありますが、乃し梅ほど梅が入っていません。そして、引っ張るとちぎれます。乃し梅はグミのような弾力があるのでちぎれません」

——菓子として完成されているのですね。
「はい。もしタイムスリップできるなら、僕は3代目が天日干しで成功した瞬間に立ち会いたいです(笑)。
 ちなみに、その後の当主たちは、乃し梅をベースにした菓子を何か一つ残しています。6代目の祖父は砂糖をまぶした『梅しぐれ』。父は、おぼろ種ではさんだ『まゆはき』」

——「まゆはき」は、おいしく美しいお菓子ですね。
「何といっても、刷毛でスッと引いた本紅がかっこいい!」

塩せんべい
左:玉響。8代目の菓子の代表作の一つ。白餡と寒天を使った和の生チョコに「乃し梅」をのせたネオ和菓子。
右:乃し梅。爽やかな酸味を特長とする山形を代表する銘菓。100%山形産の完熟梅を用いている。


8代目はアスリート気質

——佐藤さんはご長男ですか?
「3人兄弟の長男です。でも、跡を継ぐ気はありませんでした。小学校から、あだ名は佐藤屋。そして老舗の跡継ぎは、昔からあるものを作って次の代に渡す役割だと思っていましたから、そんな人生はいやだと。それで、進学も山形から少しでも遠くへと考えて鳥取大学へ。体育の教師かアスリート、あわよくばJリーガーになれたらと考えていました」

——4年たって、卒業ですね。
「そのタイミングで、兄弟で京都に集まって今後を話し合うことにしました。すると、上の弟は、これからはIT時代だから仲間と会社を興す、と言う。下の弟は、歴史の研究者になる。実家にある古文書も整理していく、と言う。2人とも、しっかりした未来像を持っているんです。それで、『兄貴は?』と聞かれて、家業が無くなるのはもったいないから、じゃあ家を継ぐわ、と(笑)。
 その日から修業先を探しました。京都のデパートで足が釘付けになったのが末富の菓子です。何とか頼み込んで入れてもらって、それから5年間お世話になりました」

——末富では、どんな修業を?
「毎日、配達です。あとは御用聞き。5年目に、餡炊きと生地のしを少しやらせてもらった程度です。ただ、毎日、ご主人の近くで話を聞き、いろいろな仕事を見ていました」

——では、菓子作りの修業は?
「佐藤屋に戻ってからです。ベテランの職人さんに『作れるようになって皆に認められるようになるから、一から教えてほしい』と頭を下げて」

和菓子をもっと自由に

「2年後。工場の皆が認めてくれるようになって初めて、自分なりの菓子作りを始めました。
 お茶の先生が本を持ってこられて『このお菓子を作って』と注文されると、『こんな菓子はいかがでしょう』と僕の菓子も一緒に提案します。毎回が試合のようなものです。最初は先生方も驚かれていましたが、段々と僕の菓子を選んでくださることが増えていきました」

——生菓子以外の菓子も、マスコミですぐに噂になりました。
「最初に作った『玉響』は、地元の若い人に、乃し梅の名前は知っているけれど食べたことがないと言われて、伝統の銘菓を見直してもらいたいと作った菓子です。『空ノムコウ』は、地元のガラス作家さんの作品を見てひらめいた寒天菓子。『りぶれ』はレモンとラム酒と黒糖の羊羹で、お酒によく合うと市内のバーやカフェが使ってくれています。

——街のイベントにも積極的に参加されています。
「菓子を通じて、山形を一緒に楽しめるような取り組みがしたい。そして自分は、どこにもない最初の一つを生み出せる菓子屋であり続けたいと思っています」(了)

りぶれ。黒糖の羊羹にラム酒を炊き込み、レモンの蜜漬けを浮かべた寒天をのせた菓子。

発想力豊かな生菓子も評判。菓子銘の美しさ、楽しさも
喜ばれている。

空ノムコウ。気泡を入れた青い錦玉羹が宇宙のよう。
ほんのり生姜が香る。

乃し梅本舗 佐藤屋

山形県山形市十日町3−10−36
TEL:0120(013)108
https://satoya-matsubei.com/

三原堂本店

*バックナンバーも、このサイトでご覧になれます。
ぜひ、おいしくて心にしみる「菓子街道」の旅をお楽しみください。