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幽玄の味

羊羮で有名な総本家駿河屋の初代岡本善右衛門が舟戸の庄(現在の京都伏見の郊外)で饅頭処の商いを始めたのは、室町中期の寛正2年(1461)のこと。屋号は「鶴屋」であった。
その後120年以上経た天正17年(1589)、鶴屋は蒸し羊羮を改良した「伏見羊羮」(別名「紅羊羮」)を発売した。
鶴屋が徳川頼宣公に召し抱えられ、駿河、次いで紀州へと移ったのは5代目善右衛門のとき。同時に、羊羮の改良も進み、テングサ(寒天)、粗糖(和三盆に類似)、小豆餡を加えて炊き上げる「煉羊羮」が開発されたのは万治元年(1658)である。
貞享2年(1685)、ときの将軍徳川綱吉公の息女鶴姫の紀州家降嫁が決まり、鶴屋は鶴の字を用いることをはばかって屋号を返上、紀州公より徳川家ゆかりの駿河にちなんだ「駿河屋」の屋号を賜った。駿河屋は、紀州家御用達菓子司として代を重ねる一方、発祥の地、伏見には「総本家」をおいた。その後も駿河屋の歴史は延々と続いて、現在の社長池田公平さんが21代目の当主にあたる。
さて、さて、駿河屋の羊羹の極上品として知られる「極上本煉羊羹」である。手にとって、ずしりと重い。
包装紙は丸紋をさまざまな色で大小に描き分け、薄いクリーム地に散らしたもの。これは紀州徳川家10代藩主、治宝公好みの落雁の銘「笹蔓」の木型・絵手本をデザイン化したものだという。絵に江戸の風雅を残していて、趣がある。
包装を解くと、木箱に富士山を描いた掛け紙。その上から結んだ紫の飾り紐も鮮やかだ。群青の富士がドンと来る。箱を開けると竹の皮に包まれた二棹が、3ヵ所、竹の皮の紐で結ばれていた。
竹の皮をほぐすと紙ケース、これを開けるとアルミ箔に包まれた羊羮がするすると出てくる。箔にはゆかしくも『駿河屋店』と題して菓子製造の様子が描かれた紀伊名所図絵が白色で印刷されている。
備中白小豆が使われた紅色の羊羹と、粒選り大納言を使い春の夕闇ののような羊羹と。
味は、言うもさらなり。深くて、少しももたれないこの味、幽玄の味とでもいうほかはない。
文/大森 周
写真/太田耕治
総本家 駿河屋
和歌山市駿河町12番地
0120(506)073