お・い・し・い・エッセイ No.166 世界の菓子切手 村岡安廣 14

世界の菓子切手 村岡安廣(14)チョコレート伝来400年(フランス)

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 世界一の美食の国といわれるフランスですが、菓子に関する切手は思いのほか少なく、ケーキ類の簡単な図柄の切手は発行されていたものの、この国らしい優雅な菓子切手はこれまでありませんでした。
 それが今年5月、カカオ豆がフランス・バイヨンヌ港にもたらされて400年になるのを記念した10枚連刷のシート形式の切手が発行されて実現しました。切手はチョコレートの香り付き。フランスの香り付き切手の発行はこれが2回目で、意外と後発な印象を受けます。
 図柄は、チョコレートの原材料であるカカオ、アステカ神話の農耕神ケツァルコアトル、メキシコを征服したエルナン・コルテス(1485〜1547)、スペインのアルハンブラ宮殿、バイヨンヌの位置を示す地図、ルイ13世と、その妻となったスペイン王女アンヌ、チョコレート工場、板チョコ、ホットチョコレート、板チョコをかじる人の計10種。チョコレートがメキシコからスペインを経てフランスに伝わった歴史をたどったものです。
 この機会に、アフリカ大陸にある旧フランス領の2国、コートジボアールとカメルーンの切手もご紹介しておきましょう。
 いずれもチョコレート製造の風景がうかがえるものですが、とりわけカカオの精練風景は和菓子の餡練りにも通じるところがあり、日本でもこのような切手ができないものかと思っています。

村岡安廣

和菓子初め 周防正行(映画監督)

和菓子初め 周防正行(映画監督)

  十月に五歳になったばかりの十二月、父に連れられて世田谷のボロ市に行った。僕は玉電に乗ったり、電池で動く自動車の玩具を買ってもらったりとご機嫌だったが、父のお目当ては臼と杵と蒸籠だった。
 その年から、我が家の餅つきは始まり、四十五年間欠かすことなく毎年末続いた。晴れた日には庭で、雨が降れば玄関の三和土にむしろを敷いて臼を置いた。
 餅つきの準備は前日から始まる。用意したもち米を水に浸け、臼、杵、蒸籠をきれいに洗う。当日の朝早く、十分に水を吸ったもち米を蒸すのだが、蒸しが足りないといくらついても良い餅にはならない。蒸しあがったもち米を臼にあけるとすぐにはつかず、まずはよくこねる。腰を低く構えて太ももの辺りに杵の柄をあて、臼の周りをゆっくり移動しながら体全体を使って上下動を繰り返し、もち米をひねり潰す。十分にこねると、ようやく父は杵を振り上げ、母の手返しで、「ペッタン、ペッタン」と皆が知る餅つきの光景になる。やがて「ペッタン、スポッ、ペッタン、スポッ」と杵が餅に吸い込まれ、それを抜く音がしてつきあがる。
 小学校高学年になると、それまでは餅をのしたり丸めたりするのを手伝うだけだった僕と妹も、杵を持つようになった。杵は力を込めて振り下ろすのではなく、杵の重さを利用して振り落とすだけだと教えられた。
 最後の一臼は、つきたての餅を母が炊いた小豆にからめて食べる。お気に入りの付け合せは、漬け過ぎて少し酸っぱくなった白菜と濃いめに淹れたお茶だ。
 僕の思い出の和菓子初めは、この自家製あんころ餅である。

周防正行(Masayuki Suo)

1956年、東京生まれ。立教大学在学中映画監督を志し、自主映画を製作し始める。寡作ながら『シコふんじゃった。』『Shall we ダンス?』『それでもボクはやってない』『終の信託』など、いずれも既存の映画にない斬新な視点をもった作品を発表し続けている。なかでも96年公開の『Shall we ダンス?』は、第20回日本アカデミー賞13部門を独占受賞して、社交ダンスの大ブームも巻き起こした。夫人はこの映画の主役を演じた草刈民代さん。次作は無声映画時代の若者たちを描いた群像劇で、今秋クランクインが予定されている。

お・い・し・い・エッセイ No.162 世界の菓子切手 村岡安廣 10

景品のチョコレート(英国)

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切手の絵柄の下には、絵葉書(pictorial postcards)の文字と、
その100年間の歴史を示す(1894−1994)という文字が入っている。

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絵葉書発行100年を祝う記念切手。当時の風俗が楽しく描かれている。

 美食とは縁遠い国といわれるイギリスですが、さまざまな食品がイギリスによって生み出され、世界中に広まっています。
 菓子の中でも、チョコレートはスペイン人が欧州に飲料としてもたらし、1820年にはオランダでココアとして売り出されましたが、現在の固形チョコレートは1847年にイギリス・ブリストルのフライ社によって作られたのが始まりとされています。
 また、1872年にイギリスを訪れた岩倉使節団は、ロンドンの西方レディングの町のビスケット工場を見学し、工業製品としての菓子の大量製造に驚いています。機械化された工場で大量に製造されるビスケットやキャラメル、チョコレートなどの菓子は、まさに近代の象徴でもありました。
 近代の象徴として、絵葉書も同様に人気を博しました。平成6年(1994)、イギリスで発行された「絵葉書100年記念切手」では、当時の海辺をテーマにした絵葉書が紹介され、なかにソフトクリームや飲料(35ペンス切手)、クレーンゲームの景品になっているチョコレート(41ペンス切手)が登場しています。
 実は、41ペンス切手は同じく100年前の1894年にテムズ川に架けられたタワーブリッジの100周年も記念して発行されたもの。タワーブリッジのクレーンゲームで獲得した景品のチョコレートを犬が持ち去っている様子が描かれています。

村岡安廣

マデイラ島の砂糖と菓子

マデイラ島の砂糖と菓子

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製糖の様子を描いたマデイラの切手

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自焼き菓子の人形が手をつないで並んでいる愛らしいデザインの切手。シートは約34cm×24cmと大きい

 ポルトガルの首都リスボンから、西南へ約1000km。大西洋に浮かぶマデイラ諸島は、ポルトガルの特別区(自治地区)で、アソーレス諸島と共にポルトガル本土とは異なる扱いを受けています。郵便切手もポルトガルの国名の脇にマデイラの名を入れたものが年2〜3回発行されており、ポルトガル全土で通用する特殊な扱いとなっています。
 この島で、2007年に砂糖製造の様子を描いた2種の切手と、1種の小型シートが発行されました。これは、マデイラがかつてヨーロッパにおける砂糖の一大生産地だったためです。
 マデイラの首都フンシャル市街のランドマークは、昔の砂糖工場の高い煙突。イスラム製法の砂糖精製が、地中海に始まり、大西洋諸島を経て西インド諸島に渡っていった歴史を象徴的に示しています。
 市内中心部には砂糖博物館もあり、参考図書の中には日本古来の製糖技術を表紙にした本も見受けられます。昔の和三盆糖作りが牛の力を借りて行われていた様子が描かれており、ここにご紹介したマデイラの切手の図柄とほぼ同様のものです。
 1995年には、伝統工芸切手の一種として、人形の姿をした焼菓子の切手が発行されています。菓子についての詳細はわかりませんが、連続模様となっており、マデイラに古くから伝わる菓子の歴史の奥行きがしのばれる楽しい作品となっています。

村岡安廣

お・い・し・い・エッセイ No.160 世界の菓子切手 村岡安廣 8

世界のお菓子切手(8)チョコレート(スウェーデン)

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10枚で構成される切手帳と、裏面(左)。
4つの図案(上)が描かれている。

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自動販売機で買えるコイル(ロール)切手

 今年のバレンタインデーはいかがでしたでしょうか。
 切手の世界では相変わらずのチョコレート人気で、スウェーデンでは2007年9月にチョコレートを紹介する5種の切手が登場しました。
 切手発行案内には、数千年間、秘密の飲料としてマヤやアステカの人々に愛飲されたチョコレートがスペイン人のおかげで今や最も愛される嗜好食品の一つとなった歴史が紹介されています。メキシコや中央アメリカではココアの実が飲料として用いられ、モンテズマ王はその熱い飲み物を1日に50杯飲んだといわれます。欧州人がこの飲物を知ったのは1521年のメキシコでありました。
 5種の切手の形態は、1種がコイル(ロール)切手で、自動販売機で購入できる帯状になっています。また、4種は10枚で構成される切手帳となっており、この10枚にはココアの実と飲料が2枚ずつ、その他が3枚ずつとなっています。
 図案はココアの実、ココア(チョコレート飲料)、デザートチョコレート、キャンディの切手帳4種とプラリネのコイル切手1種で、4色平板印刷の素朴なデザインが、スウェーデンの若きデザイナー、エスパー・オルフォルス氏によって描かれています。額面(料金)はなく、この場合、第一種無額面(5・5クローネに相当)切手として取り扱われます。
 スウェーデンでは実用的な切手帳やコイルの形態で切手を製作することが伝統となっていて、今回の切手も同様となっています。切手帳はすぐ封筒に貼ることのできる糊付き、すなわちセルフ糊で、とても便利な形式です。

村岡安廣

お・い・し・い・エッセイ No.158 世界の菓子切手 村岡安廣 6

世界のお菓子切手(6)ワッフルとチョコレート

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 平成18年11月19日、『This is Belgium!(これがベルギー!)』と題された切手が発行されました。ビールやムール貝料理をはじめとするベルギーの豊かな食文化を紹介するこの切手シートのなかに、チョコレートとワッフルが登場しています。
 ワッフルの語源はオランダ語の「格子縞」で、地域伝統の菓子であることがうかがえます。ゴーフルとも表示されるワッフルの歴史は古く、修道院のミサで聖餅とされたのが起源といわれます。12〜13世紀には、ベルギーの各家庭で作られるようになりました。また、日本には明治時代に紹介されましたが、餡をはさんだ鯛焼きのようなものだったそうです。
 切手のワッフルは、ブリュッセルタイプといわれる四角い形で、大別すると他にリエージュタイプといわれる丸い形のワッフルもあります。このタイプは片手で持つことができるので、ベルギーでは歩きながら食べる習慣が定着しています。
 一方、チョコレートは、第3回でもご紹介したようにアステカ帝国からスペイン人が持ち帰り、17世紀には全ヨーロッパに広まったものです。なかでもベルギーは国をあげてチョコレート作りを奨励し、チョコレートという名称使用についても厳しい基準を設けて、品質保持に努めてきました。首都ブリュッセルの空港には、飛行機や砂漠の風景などをかたどったチョコレートの工芸菓子が展示されていますが、ベルギーがチョコレート文化の中心であるという誇りを感じさせるものです。
 ベルギー各地のチョコレート店は、様々に工夫を凝らしながら日本にも出店して評判を呼んでおり、欧州チョコレート市場においても確固たる地位を築いています。

村岡安廣

お・い・し・い・エッセイ No.164 世界の菓子切手 村岡安廣 12

世界の菓子切手 村岡安廣(12)チョコレートとタルト(ベルギー)

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チョコレートづくり

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▲1985年「ベルギーの風俗シリーズ」より、
タルトとその製造風景

1999年「チョコレート産業切手」より、各種チョコレート    

 その国の名を聞けばチョコレートを連想するほどのチョコレート王国、ベルギー。
 チョコレートは、飲物としてはオランダで始まり、固形のチョコレートは英国、ミルクチョコレートはスイスで生まれ……と、ベルギーとは何の関係も無さそうなのですが、チョコレート王国と言われる所以は、チョコレート作りへのこだわりにありました。
 ベルギーに本部を置く「伝統的高品質チョコレート協会」は、カカオバター100パーセント使用等の品質基準を満たしたチョコレートを認定する機関で、この品質へのこだわりがベルギーチョコレートの名声を高め、世界一といわれるチョコレート王国をつくり上げました。現在75カ国の登録があり、高品質高イメージのチョコレートがこの認定によって守られています。
 中世の、毛織物で栄えたフランダース地方(ゲント、ブリュージュなどの街があります)における、“食の十字路” といわれるほど高い水準の様々な食文化が、このチョコレート王国の基盤となっており、ブリージュではチョコレート博物館を中心として、冬季にチョコレートウォークが行われ、多くのチョコレートファンが訪れています。
 今回は、1999年に発行された「チョコレート産業切手」から2枚と、1985年に発行された「ベルギーの風俗シリーズ」から、タルトと、その製造風景を描いた切手をご紹介しました。

村岡安廣

お・い・し・い・エッセイ No.159 世界の菓子切手 村岡安廣 7

世界のお菓子切手(7)香港の饅頭・点心・ケーキ

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切手の左右に中国と西洋の文化が平行して描かれている  

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ケーキが登場する切手展小型シート

 イスラム圏と並ぶ菓子の二大源流といわれる中国ですが、菓子切手の発行は日本と同様にあまり見られず、ポルトガル領であったマカオがこの分野では目立った存在でした。
 中国に返還された香港が21世紀に入ってようやく食文化を取り上げ始め、2002年10月14日発行の普通切手と2004年1月30日発行の切手展小型シートに菓子が登場しました。
 普通切手は中国と西洋の文化を並行して紹介するデザインで、16種の図案のうち4種が食文化に因むものとなっています。
 菓子は2ドル切手にケーキと饅頭が描かれており、この饅頭は月餅のように見受けられます。月餅は秋の名月を見ながら食する習慣から、中国のみならず世界各地のチャイナタウンで9月の1ヵ月間、販売される焼菓子です。十数年前訪問したシンガポールの中華街でも、数多くの店で各種各様のその店自慢の月餅が製造され、列をつくって購入する客の姿が見られました。
 1ドル40セント切手には、パンと点心が描かれています。点心は中間食的な料理の一種で、昼食を指す場合もあり、我が国では茶受けや寺院における正食の前の軽い料理をも意味するところとなっています。通常このような蒸し饅頭が多いことから、この切手においても菓子に近い蒸し饅頭であると推察されます。
 英国領であった香港の歴史を背景にしたデザインの切手展小型シートには、ケーキも登場しています。周辺に中国菓子らしき食品が数点並び、「食は広州にあり」という言葉どおりのこの地の伝統を示しています。

村岡安廣

お・い・し・い・エッセイ No.157 世界の菓子切手 村岡安廣 5

世界の菓子切手 村岡安廣(5)韓国の菓子

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 前号(156号)に続いて、韓国の伝統菓子の切手です。前号の餅菓子は料理の一種でしたが、今回は菓子として伝えられてきた4種の菓子をご紹介します。
 平成15年に発行された韓国料理シリーズの第3回で取り上げられた菓子類は、伝統の器に盛りつけられ、餅菓子とは違った趣向で、彩りの鮮やかさも際立っています。
 竹籠入りの白色の菓子は「ユクァ(油菓)」と称され、正月の年始客をもてなす上菓子です。もち米の粉に酒を加えて練り、蒸した後、低温と高温の油で交互に揚げ、蜂蜜をまぶして5色に仕上げられます。鹿児島の軽羹にも似通っており、韓国宮廷菓子の水準の高さがうかがえます。
 丸く黄色い皿には「ヤックァ(薬菓)」が盛られています。小麦粉にゴマ油、酒、生姜などを混ぜて合わせて揚げ、蜂蜜がしみるまで漬けたら、風通しの良いところで乾燥させて出来上がりです。高麗の王子が元朝の中国からの使節をこのヤックァでもてなし、大いに喜ばれたとの逸話が残っており、今なおデパート等で販売されています。
 青磁の八角皿には、各種の「ヨッカンジョン(飴カンジョン)」が盛られています。乾燥米、クルミ、松の実、煎り豆、ゴマ、シソの実、ピーナッツなど様々な材料から作られ、平たく伸ばし、一口大に切って固まったものが供されます。正月に子どもたちが好んで食べたといわれ、主に寒い季節に食されます。
 青磁丸皿には「タシク(茶食)」が並んでいます。煎りゴマ、豆、もち米を粉末にし、蜂蜜と混ぜ合わせ、型にはめて作ります。結婚式や宗教儀式に用いられ、また、還暦の数え年61歳を祝う際にも供されます。
 これらの菓子類には素材の豊かさからのおいしさと、韓国独特の健康志向の味わいがあり、懐かしさ優しさが伝わってきます。

村岡安廣

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ヨッカンジョン   ユクァ
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タシク   ヤックァ

お・い・し・い・エッセイ No.156 世界の菓子切手 村岡安廣 4

世界の菓子切手 村岡安廣(4)韓国の餅菓子

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 韓国の宮廷料理は、テレビドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」で一躍有名になりましたが、なかでも米を原料とした餅料理の水準の高さは特筆すべきものがあります。わが国では菓子の一つとされる餅も、韓国では料理の一つであり、キムチに次ぐ伝統的食文化として大切に守り伝えられてきました。
 近年、韓国では伝統文化をテーマとした切手が数多く発行されており、伝統食を主題とした韓国料理シリーズも平成13年から発行が始まりました。第1回のキムチに続いて第2回は餅が取り上げられ、4種の餅が伝統の器に盛られて登場しています。
 青磁の皿に盛られている白と緑の餅は「チョルピン」といい、花模様がかたどられています。通常、このような花模様や卍模様は木型が用いられますが、韓国では磁器の型があり、東アジアでは珍しい菓子型として知られています。
 磁器型の歴史は百年とも千年ともいわれ、明確な資料は少ないのですが、わが国ではこの磁器型を茶道の蓋置きとして使用する慣わしがあります。形状、大きさが蓋置きとして適度なため、茶道具の一つとして使われてきたのです。菓子作りの道具がこうした形で珍重される稀有な例だといえるでしょう。
 きな粉がまぶしてある餅は「インジョン」といい、チョルピンと同様に結婚式など祝いの席に出されます。
 小豆をふんだんに用いて餅とサンドイッチ状に仕上げた「シルットク」は、祝いや祈願の折に用いられてきました。古くは五穀豊穣を祈り、現在では転居の際に新居の安全を祈って供えられています。わが国では高麗渡りの菓子とされ、京都や名古屋で製造されている「村雨」や、鹿児島の「高麗餅(これもち)」の原型が、このシルットクであるといわれています。
 「ソンピョン」は、うるち米に胡麻や小豆、栗などを混ぜ、松の葉の上で蒸して作る餡入り餅です。松の葉を使うことから“松片(ソンピョン)”の名が生まれました。旧暦の8月15日の秋夕(しゅうせき)の日は、このソンピョンが盛んに作られ、一般家庭でもそれぞれ独特の味を競って作ります。なお、旧暦8月 15日が中秋の名月に近いことから、わが国では中国の月餅ではなく、このソンピョンの影響を受けて月見団子が供されるという説もあります。うるち米の餅菓子は朝鮮半島文化の影響が濃いといわれる宮崎県、佐賀県に、今もなお伝統菓子として残されています。

村岡安廣

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チョルピン   インジョン
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シルットク   ソンピョン