お・い・し・い・エッセイ No.155 新春号

世界の菓子切手 村岡安廣(3)チョコレート

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 セント・バレンタインデーの贈り物の定番となっているチョコレートは、もともと飲料として始まりました。
 1528年、アステカ帝国を滅ぼしたスペイン人エルナン・コルテスの遠征隊は、本国にアステカ人のいうショコアート(にがい水の意味)、チョコレートを持ち帰ったといわれます。そして欧州で熱狂的に迎えられました。
 1820年代にオランダのバンホーテンが粉末チョコレート、すなわちココアの製法特許をとりました。1847年にはイギリス西部の港町ブリストルのフライ社が、カカオにココアバターと砂糖を加えて「食べられるチョコレート」固形のチョコレートを作り上げ、さらに1875年にはスイス人のダニエル・ペーターがネスレ社アンリ・ネスレ作製の粉ミルクを混ぜて「ミルク・チョコレート」を完成、ほぼ今日のチョコレートの原型ができ上がりました。
 このチョコレート切手は、2001年にスイスのチョコレート事業組合100周年を記念して発行されたものです。チョコレートそのものが十二分に表現されたデザインに加えて、匂いもついており、この切手を貼った封筒を受け取った時は、いささか驚きました。数年前に切手雑誌に大きく紹介して以来、わが国では人気の切手となり、入手難となっています。

村岡安廣

創刊40周年記念エッセイ:日本文化の中のお菓子 熊倉功夫

創刊40周年記念エッセイ:日本文化の中のお菓子 熊倉功夫

イメージ お菓子はおいしくて美しい。そればかりか、お菓子には心を豊かにする楽しさがあります。この小さなかたちの中に、日本の文化が凝縮されているように思えます。日本の菓子の祖とされる田道間守の伝説は、二つのことを伝えています。
 田道間守が常世の国から持ち帰った非時香菓は、垂仁天皇の不老不死の願いをかなえるはずでした。非時香菓とはタチバナの実ということになっていますが、そこから菓子のもとは果物だったことがわかります。自然の恵みである果物は、古代以来、貴重な甘みでした。
 もう一点は、菓子には、不老不死という元気で長生きしたいという、人間すべての願いが込められていることです。菓子はおいしいから食べるだけではありません。幸福を招き、身辺に近寄る災いを攘ってほしい、すなわち招福攘災を願って食べる特別な食べものです。

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イメージ 桃の節句といえば、草餅の中につきこまれた蓬の香りが嬉しいものです。端午の節句の菖蒲、重陽の節句の菊と並んで、その強烈な香りに、われわれの体に悪さをする魑魅魍魎を追い払う力があると昔の人は信じていました。この時とばかり、草餅を食べて新しい季節を迎えます。
 節句だけではなくて、季節の変わり目は、体力、気力が衰えます。失われる元気を補うのが菓子の役目です。
 「水無月」という菓子が京都にあります。氷を象徴して三角形に切られた白外郎の上に小豆をのせた素朴な菓子ですが、水無月(六月)一日を、古く「氷の朔日」といいましたように、これから迎える夏の暑さに負けぬよう氷を食べる習慣が宮中にはありました。京都の庶民は六月になると氷のかわりに菓子の水無月を食べて、息災を願うことにしています。
 日本人は四季の変化を何より楽しみにしてきました。ひと足早く季節を招き入れ、菓子の趣向に仕立てます。そこには日本人の初物好きの心理もうかがえましょう。初物には生まれたての新しい魂(新玉)が宿っていますから、これを食べると七十五日長生きできると昔の人はいいました。

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 日本の菓子のすばらしさは、全国各地に、郷土の香り豊かな菓子がひっそりと作り続けられているところにあります。それを土産として頂戴したり、私自身も買い求めたりします。土産という習慣は菓子に限ることではありませんが、その土地の風情を運んできますから、とてもゆかしく感じられます。
 さらに申しますと、その土産の菓子には、それを作った土地の産土神の霊力がこもっているのです。土地の守り神である産土神の力によって産み出された産物を土産としていただくのです。
 いわば小さな菓子は、古い古い日本文化の根っこにつながっています。

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イメージ さて、日本の歴史は外来文化受容の歴史ともいえるくらい大陸や半島、さらに南方の島伝いに外来文化が流入し、近世以降はヨーロッパ、近代にはアメリカの文化まで加わって、受け入れ、また捨てられ、変容して今日の日本文化ができあがりました。菓子の歴史もまた外来文化受容の歴史といえます。
 チベットで食べた揚げ菓子は、まるで日本の神饌の菓子のようでした。ちまきの伝統は、中国雲南から日本まで照葉樹林帯に分布します。十六世紀に西洋人が日本に来て、砂糖や鶏卵を使う南蛮菓子が始まります。近代の欧米文化の受容の中で、日本の菓子の世界は一段と広がりを見せます。
 こうして考えてみますと、日本人の自然観や信仰、美意識や感性、さらに文化の歴史的特質が、すべて菓子の中に凝縮していることがわかります。

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熊倉功夫(くまくら いさお)

国立民族学博物館名誉教授。林原美術館館長。専門は日本文化史、茶道史。東京教育大学文学部博士課程退学後、京都大学人文科学研究所講師、筑波大学教授、国立民族学博物館教授等を経て現職。近著に『日本料理文化史』(人文書院)、『文化としてのマナー』(岩波書店)、『近代数奇者の茶の湯』(河原書店)、『茶の湯の歴史―千利休まで―』(朝日新聞社)、近編著書に『遊芸文化と伝統』(吉川弘文館)、『井伊直弼の茶の湯』(国書刊行会)ほか多数。

創刊45周年記念特集 安西水丸さんの『あじわい』表紙イラストレーションができるまで

創刊45周年記念特集 安西水丸さんの『あじわい』表紙イラストレーションができるまで

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 平成11年(1999)から『あじわい』の表紙は、安西水丸さんのイラストレーションが飾っています。
インパクトがあって、独創的。「でも、どうやって描いているの?」と、よく聞かれます。
今回、特別にお願いして制作の様子を見せていただきました。

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完成。『あじわい』の表紙の仕事は、僕にぴったりの仕事だと思います。いつも、おいしそうでしょ。今回も、カンペキです!

お・い・し・い・エッセイ No.170 世界の菓子切手 村岡安廣 17

世界の菓子切手 村岡安廣(17)カカオ産地のチョコレート(ガーナ共和国)

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板チョコいろいろ。包装紙のデザインにも
アフリカのお国柄が出ている
ココアとチョコレートスプレッド

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玉状のチョコレートは世界中どこでも人気

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カカオ製品いろいろ カカオの加工プラントで働く従業員。ガーナは良質のカカオの産地。加工品が日本にもたくさん輸入されている

 「2010 FIFAワールドカップ」南アフリカ大会ではアフリカのパワーが見直され、ようやくアフリカにも光が当たり始めました。1957年にブラック・アフリカ初の独立を果たし、「黒のブーム」のきっかけをつくったガーナ共和国は、チョコレートの原料となるカカオの産地としても知られています*。
 そのガーナから、2007年、独立50周年の年に、本格的なチョコレートの切手が発行されました。
 5種の切手には、チョコレートに関わる様々なものが描かれています。
 まず、飲料であるココアと、チョコレートスプレッド(チョコレートペースト)。飲料としてのチョコレートすなわちココアは、オランダに始まるといわれます。
 次に、玉状のチョコレート。固形のチョコレートはイギリス・キャドバリー社が創始とされます。
 さらにバラエティー豊かなチョコレートが続きます。ミルクチョコレートはスイス発祥とされますが、現在では最も基準の厳しいベルギーに製造の中心が移っており、首都ブリュッセルには5〜6店の王室御用達のチョコレート専門店が存在しています。
 そして、チョコレート工場で働く人たちの様子を描いたものと、たくさんのカカオ製品の絵柄も。
 チョコレートの切手が、ガーナにチョコレート産業がしっかりと根づいていることを伝えてくれています。

*ガーナ共和国は国連食糧農業機関(FAO)の2008年の統計ではコートジボワール、インドネシアに続いて世界第3位のカカオの生産量を誇っています。

村岡安廣

お・い・し・い・エッセイ No.168 世界の菓子切手 村岡安廣 16

世界の菓子切手 村岡安廣(16)ポルトガル伝統のパン

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大きなシート切手は、とうもろこしのパンとさつまいものパンの写真。そのほか小麦のパンやライ麦のパン、ソーセージ入りのパンや形の変わったパンなど、地方によって特色のある8つのパンが紹介されています。

 南蛮菓子のふるさとポルトガル。わが国で17世紀に著された『南蛮料理書』には、「はん」としてパンの製法が紹介されています。また、ポルトガルにはカステラの原型といわれている菓子があり「パン・デ・ロー」と称されています。この名前は、ローマカソリックの総本山があるイタリアの丸い「パン」と、ふわふわとした感触の東洋の絹織物の「ろ(絽)」という言葉を組み合わせたものといわれており、海洋帝国ポルトガルの威光が示されています。 
 近年の資料では、日本で夏季に着用する絹織物の着物の「絽」は中国語の「羅」の訳語であると記されています。この説をとれば、パン・デ・ローの「ロー」は日本語で、ポルトガル伝統の菓子名の中に日本が存在しているということになります。

 ポルトガルで1999年と2000年に発行された菓子切手シリーズ(連載の第1回/『あじわい153号』で紹介しました)から10年後となる2009年、パンの切手が登場しました。いずれも小麦のグルテンの粘りが伝わってくる独特のおいしさを持つポルトガル伝統のパンが、写真の力でさらに魅力を増しています。
 ポルトガルのさまざまな地方の、それぞれ自慢の「パン」比べが、ここに登場しました。

村岡安廣

お・い・し・い・エッセイ No.171 世界の菓子切手 村岡安廣 18

世界の菓子切手 村岡安廣(18)「長崎街道」は砂糖の道

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 おかげ様で全国銘産菓子工業協同組合は昨年(平成22年)めでたく60周年を迎えることができました。
 昭和25年11月10日、東京・日本橋三越本店において全国銘菓展が開催されました。その折の、お客様の熱狂的な反響に刺激された福岡の百貨店の食品担当部長の発案により、九州銘菓展が企画され、併せて九州銘菓協会が発足しました。今年は九州銘菓協会発足60年の記念すべき年にあたります。
 折しも北部九州の近世の主要道であった長崎街道が砂糖街道(シュガーロード)として脚光を浴びています。近世の世界への窓であった長崎は6万人の人口のうち1万人が中国人で、多くの菓子技術や砂糖が伝来しました。将軍家への献上砂糖もこの地域の島原藩、佐賀藩、小城藩、蓮池藩、福岡藩、杵築藩等が全体の9割を占め、九州はまさにシュガーアイランドであり、菓子王国でもあったのです。
 平成10年に発行されたふるさと切手「長崎街道」には、街道の出発点であった長崎出島の図や小倉城、そして途中の佐賀藩が開発した蒸気機関車や宿場であった鳥栖の現代の高速道路等が示されています。
 地図は伊能忠敬が制作したもので、近世の長崎街道諸藩には多くの中国菓子、南蛮菓子の記録があり、今もなお菓子の伝統が生き続けています。

村岡安廣

お・い・し・い・エッセイ No.167 世界の菓子切手 村岡安廣 15

世界の菓子切手 村岡安廣(15)ニュージーランドのクリスマスケーキ

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 欧米では、クリスマス・シーズンに数多くの菓子が作られます。日本にも伝わった南蛮菓子の「鶏卵素麺」は、ポルトガルではクリスマスケーキの飾りとして大切な役割を演じています。
 南半球に位置するニュージーランドは、かつてイギリス領であり、現在もイギリス連邦王国の一国であることからイギリス風のクリスマスケーキが供されています。しかし、ニュージーランドのクリスマスは夏。クリスマス切手の趣きもいささか異なるようです。
 1993年、ディッケンズの『クリスマス・キャロル』で有名になったクリスマス・プディングを描いた切手が登場しました。
 クリスマス・プディングは小麦粉やドライフルーツ、牛脂、卵、ピールなどを混ぜ合わせ、型に流して蒸し上げたあと熟成させて作る菓子です。イギリスの伝統的なクリスマスケーキで、魔よけの力があるという赤い実をつけたヒイラギの葉をのせるのが決まりとなっています。
 2004年には、タルトの上にフルーツをのせたケーキや生クリームをかけて雪を思わせる装飾をしたケーキを描いた切手が登場しました。夏のクリスマスを祝う菓子ですが、冬を連想させるイメージをほどこしているのが目を引きます。
 イギリスからは地球の裏側にあたるニュージーランド、遠隔の地で、フロンティア(新開地)であるこの国では、イギリス本国の長い伝統や歴史を重んじる傾向が強いことから、イギリスの伝統様式をそのまま取り入れたクリスマスが行われています。

村岡安廣

お・い・し・い・エッセイ No.163 世界の菓子切手 村岡安廣 11

世界の菓子切手 村岡安廣(11)キャラメルと鯛焼きと和菓子

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昭和50年の大ヒット曲「およげ!たいやきくん」の意匠の切手。この絵柄が描かれたレコードが450万枚以上をセールスした(日本におけるシングル盤の売上げ1位)。   森永ミルクキャラメルが「黄色い箱」入りになったのは大正3年の大正博覧会での販売がきっかけ。爆発的な人気に、すぐに市販が決まり、大ブームを引き起こした。

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第20回全国菓子大博覧会記念切手。
この菓子博は、昭和59年2月24日から3月12日まで明治神宮外苑絵画館前で開催された。

 平成11年9月22日、20世紀デザイン切手シリーズ第2集に「ミルクキャラメル発売」切手が登場しました。これは大正初年、森永製菓がわが国で初めてミルクキャラメルを発売したことを記念し、20世紀の大きな出来事の一つとして取り上げたものです。
 森永製菓の創業者・森永太一郎は佐賀県伊万里の陶磁器商の家に生まれ、米国にも2度渡り、家業を再興しようとするも叶わず、ベーカリー修業の後、明治32年8月、東京赤坂で菓子屋を開業しました。エンゼルマークと黄色いキャラメルボックスは、陶磁器デザインの優れたセンスに由来するとされています。
 ちなみに平成19年8月6日から日本経済新聞で連載が始まった『望郷の道』は、新高製菓一六軒創業者・森平太郎をモデルとした小説で、作者の北方謙三氏は曽孫にあたります。森永太一郎、森平太郎、そしてグリコの創業者江崎利一がいずれも佐賀県出身で、戦前の4大菓子メーカー(明治、森永、グリコ、新高)のうち3メーカーの創業者が同県出身であったため、佐賀は「キャラメル王国」とも呼ばれていました。
 なお、前述の20世紀デザイン切手シリーズでは第15集で「およげ! たいやきくん」の意匠が登場し、昭和59年2月24日発行の「第20回全国菓子大博覧会記念」切手には「和菓子と茶せん」が描かれていますが、日本では他に菓子切手といえるものはほとんど見あたりません。
 世界中で続々と菓子切手が発行されている中、日本では食をテーマとした切手自体も少数で、今後が期待される分野の一つとなっています。

村岡安廣

お・い・し・い・エッセイ No.154 世界の菓子切手 村岡安廣 2

世界の菓子切手 村岡安廣(2)エッグタルト

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 平成18年7月、全国銘菓の研修旅行として江後迪子先生(元別府大学短期大学部教授)を中心としたメンバー21名がポルトガルを訪問し、マデイラ島まで菓子の探訪を行いました。このポルトガルの首都リスボンの伝統菓子「パスティス・デ・ナタ」が、中国におけるポルトガルの植民地であったマカオの切手に登場しています。
 1999年にマカオで発行された「美食と菓子」シリーズ第1集の4種連刷切手の左から2番目の切手に描かれているのがそれで、日本では「エッグタルト」の名で呼ばれ、彼の地ではカフェの定番となっています。
 なお、この4種連刷切手の右端の切手には、「馬拉カオ(まーらーかお)」として知られる蒸しカステラが中央部分にあります。
 また、同シリーズ第2集には、日本の「おこし」に似た「薩騎馬(さーちーま)」と呼ばれる菓子も登場します。中国東北地方の伝統菓子で、小麦文化圏の中国東北部には珍しい米菓子です。

マカオの菓子切手いろいろ
マカオは16世紀にポルトガルの植民地となってから、西欧と東アジア、とりわけ中国との食文化の交流の地となってきました。「美食と菓子シリーズ」と題された切手にも、さまざまな菓子が登場しています。

村岡安廣

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右下は、日本の“おこし”に似た「薩騎馬(さーちーま)」という菓子
テーブルいっぱいに点心が並んでいる華やかな絵柄の切手シート。切手部分を切り取って使うのが惜しくなるほど  
   
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「杏仁(しんれん)月餅」と見られる菓子と原材料が描かれている
 

お・い・し・い・エッセイ No.153 世界の菓子切手 村岡安廣 1

世界の菓子切手 村岡安廣(1)国の餅菓子

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 鶏卵素麺は、17世紀後半の発刊とされる『南蛮料理書』にも登場する「たまごそうめん」のことで、江戸時代に全国各地に広まりました。タイやメキシコ、中国のマカオなど、世界中で今も作られています。
 我が国では博多名産のお菓子となっていますが、本場ポルトガルでは単体でなく、ケーキの飾りなどに用いられています。製法は、日本、ポルトガルともに大航海時代そのままの素朴な手作り。エスプレッソコーヒーと、この濃厚な甘みの取り合わせが愛好されています。
 切手は1999年、ポルトガル発行「修道院の菓子シリーズ」の中の名作です。狩野派作の「南蛮屏風絵」の金彩色の文物と同様の?黄金?のイメージの豪華さがあふれています。
 「修道院の菓子シリーズ」切手は、全部で12種が発行されました。ポルトガルの伝統文化である菓子のパワーがダイナミックに表現され、世界中に伝えられています。

文/村岡 安廣

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マップ   ポルトガルの切手「修道院の菓子シリーズ」にはほかにもこんな楽しい切手がある。