お・い・し・い・エッセイ No.165 世界の菓子切手 村岡安廣 13

世界の菓子切手 村岡安廣(13)和菓子のふるさと(中国)

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稲作発祥と見られる河姆渡遺跡。日本の稲作もここが源流と考えられる。

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北宋(960−1127)の都のにぎわいを描き、中国最高の傑作図巻と言われる「清明上河図」は、
北京故宮博物院に所蔵されている。

 日本と同じく、菓子の切手がほとんど発行されない国が中国です。和菓子の由来の大半は中国にあると言われるほどの菓子大国ですが、菓子が切手に取り上げられる機会は少なく、ほとんど見当たりません。
 そんな中国の郵便切手のなかで、今回は菓子の原料となる米の、世界最古の栽培例が出土した「河姆渡遺跡」の切手と、さまざまな食文化が起ったとされる北宋時代の都・開封の春の情景が描かれた「清明上河図」の切手を紹介します。
 1996年、河姆渡遺跡の切手が発行されました。7千年〜5千年前に長江流域に優れた文明があったことを示す大量の出土品から、稲作農業に用いられた道具の二十分*切手、木造建築の五十分切手、木の櫂の百分切手、鳥と太陽の文様の器の二百三十分切手の4種を紹介したもの
です。
 また、清明上河図の切手は、2004年に小型シートの形で発行されました。首都としての活気にあふれる街の賑わいと、大河に船が浮かび、大勢の人々が岸辺や橋を行き交うありさまがダイナミックに描かれています。
 砂糖などの貴重な食糧は、当時からこのような大きな船で運送されました。饅頭や餅など、この時代を中心に日本に伝わったとされる和菓子の原点は、ここにあったのです。

*「分」は中国の貨幣単位で、100分が1元にあたります(100分=10角=1元)。現在、分はほとんど流通しなくなりましたが、この切手の発行当時は経済成長が現在ほどではなかったため、元単位でなく分単位で額面表示がなされていました。

村岡安廣

「菓子のある風景」スペシャル お菓子三十六景 磯辺 勝

「菓子のある風景」スペシャル お菓子三十六景 磯辺 勝

菓子を描き伝える

 北斎の「冨嶽三十六景」にたとえては恐れ多いが、「菓子のある風景」も連載36回を数えた。分野にこだわらず、できるだけ著名な画家の作品を、ということで選んできたが、あらためて内訳を振り返ってみると、やはり童画家の絵、ないしは童画風の作品が多く、全体の3分の1近くを占めている。その第1号が、武井武雄の「猫と鼠」だった。
 武井武雄はたいへんなお菓子好きだったようである。全国の銘菓を食べるのが楽しみで、旅のみやげに買ったり贈りものにもらったりすると、いちいちお菓子とパッケージをスケッチした。スケッチを見せてもらったことがあったが、写実的にざっと描いて彩色したもので、あとで武井武雄風に美しく仕上げるための手控えのように見えた。それにしても、あれだけ忙しかった画家が覚え描きの手間を惜しまなかったのは、よほどのことである。
 このスケッチは、戦後の菓子資料の一つとして貴重なものではないかと思う。

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猫と鼠/武井武雄(第2回)

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おかしの運動会/横井弘三(第23回)
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おかざりお菓子/村山知義(第21回)

噴き出す画家の魂

 武井武雄のあと、童画風の絵としては竹久夢二、茂田井武、いわさきちひろ、村山知義、川上澄生、横井弘三、初山滋、亀高文子、谷内六郎らが登場した。
 絵の勉強を始めるとき、将来童画を描こうと考える画家はまずいない。生活のためにアルバイトで手を染めるのだが、いつしか居心地がよくなったり、天職と考える人も出てくるのである。だが、忘れてはならないのは、どういう絵を描いていても、よい画家は画家の魂をもっていることだ。
 動物たちが宵祭りのにぎわいを繰り広げる茂田井武の「こんやはよみや」、小笠原諸島へのスケッチ旅行で見た砂糖搾り用の万力を、真ん中にデンと据えた横井弘三の「おかしの運動会」などは、数ある童画のなかでも、なにか画家の魂が噴き出しているような傑作であった。
 戦前の前衛芸術家として知られた村山知義の子ども向けの絵も、今もってモダンな魅力を持ち続けている。
 その村山の絵について書いた時、子どもたちが楽隊つきで運ぶ巨大なケーキを、「ドイツででも目にしたものだろうか」と書いた。だが、その後、どうもこれはイタリアのズコットというケーキらしいということがわかってきた。ズコットとは「聖職者のかぶり物」という意味だそうだが、村山のケーキはまさにそういう形をしている。訂正してお詫び。

「菓子のある風景」で紹介してきた作品

作品名 作家名
1 かぎやおせん 一筆斎文調
2 猫と鼠 武井武雄
3 対柳居画譜 柴田是真
4 チョコレートとお茶のフランス商会 スランタン
5 世安町の駄菓子屋 守屋多々志
6 明治風俗十二ヶ月氷店(八月) 鏑木清方
7 饅頭 安井曾太郎
8 ちいさいおきゃくさま 竹久夢二
9 櫻餅 堀 文子
10 菓子パン 正岡子規
11 チャイルド洋食店 清水登之
12 巴里の焼栗 中村不折
13 えっ、木の葉に見えちゃう? 馬場のぼる
14 十二月ノ内 水無月土用干 三代歌川豊国
15 こんやはよみや 茂田井 武
16 静物 中川紀元
17 誕生日 レオナール・フジタ(藤田嗣治)
18 レニングラードアイスクリームや いわさきちひろ
19 スケッチ帖より 坪内節太郎
20 冬日 望月春江
21 おかざりお菓子 村山知義
22 赤いアイスクリーム ハンス・ノイマン
23 おかしの運動会 横井弘三
24 柏崎三階節 川上澄生
25 太平喜餅酒多多買 歌川広重
26 いちご 菜果五題の内 岸田劉生
27 ビスケット 香月泰男
28 伸餅 熊谷守一
29 赤ずきん 不詳
30 四季遊戯図 円山応挙
31 くりやき 初山滋
32 びくにはし雪中 歌川広重
33 青い鳥 亀高文子
34 猪熊弦一郎
35 遊楽図屏風 作者不詳
36 ポップコーン咲いちゃったよ 谷内六郎

大家たちの隠れた一面

 洋画家の作品も9点と多い。安井曾太郎が最初で、清水登之、中村不折、中川紀元、藤田嗣治、岸田劉生、香月泰男、熊谷守一、猪熊弦一郎と大家ぞろいで、堂々たる顔ぶれだ。
 これらの画家の得意の画題を思い浮かべて、まずお菓子は浮かんでこない。とりわけ猪熊弦一郎などは抽象絵画に近い画風である。
 安井曾太郎の柚子饅頭、中川紀元のロールケーキ、香月泰男のビスケット、熊谷守一の伸餅、猪熊弦一郎のバナナ、いずれも、この画家がこういうものを描いているのかと驚くような作品に次々に出会うことができた。
 つまり、「菓子のある風景」という視点から見たからこそ、洋画家たちの隠れた一面が見えてきたのである。
 安井曾太郎の「饅頭」は、雑誌の表紙絵であったために、制作のいきさつまで画家自身によって書き残されている。料亭のみやげでもらってきた柚子饅頭を描くにあたり、夫人が「緋毛氈の上に置くと綺麗でしょ」と言ったということなど、そのときの夫人の顔つきまで浮かんでくるようで、思わず微笑をさそわれる逸話だ。
 画家が静物画を描くとき、同じ果物を描くのでも、おいしそうに、いかにも食べられそうに描く画家と、そうでない画家がいるような気がする。岸田劉生は、私の感覚では食べられそうに描く画家だ。その意味で、劉生の「いちご」は「菓子のある風景」にぴったりだったと思う。
 藤田嗣治の「誕生日」が、国内の美術館にあったのも、幸運だった。藤田といえば女と猫で、なぜ子どもの絵が多いのか、ということなど考えてもみなかった。筆者は、それが、藤田がパリの昔話の挿絵を依頼されたことに始まる、ということを初めて知った。

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顔/猪熊源一郎(第34回)
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饅頭/安井曾太郎(第7回)

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ビスケット/香月泰男(第27回)
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静物/中川紀元(第16回)

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伸餅/熊谷守一(第28回)

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誕生日/レオナール・フジタ:藤田嗣治(第17回)

季節感のなつかしい絵

 近代の日本画の大家の登場は、柴田是真を入れても、守屋多々志、鏑木清方、堀文子、望月春江と、洋画に比べると少なかった。ただ、少ない割に印象が強いのは、伝統的に季節感が豊かであるという点で、日本画が際立っているからであろう。
 鏑木清方の清々しい美人がかき氷をつくる「氷店」、望月春江の朱塗りの盆の上に干し柿がのる「冬日」のような絵には、洋画にはない、日本画ならではの季節のなつかしさがあった。
 著名な日本画家の作品には、まだお菓子を描いた絵が数多くある。今後、追々登場することになりそうだ。
 「菓子のある風景」の連載第1回は、一筆斎文調の「かぎやおせん」である。かねて惚れ込んでいたために、この絵を用いたが、浮世絵はできるだけ絞ってというのが初めからの方針であった。安易に多用すると、浮世絵資料の連載のような印象になりかねないからである。その意味では厳選して、広重を2回と三代豊国を1度扱った。
 浮世絵では、広重の「太平喜餅酒多多買」が、遊び絵として出色であった。この画家の名所絵などとはかけ離れた作風で、画面にいたずら心がはじけている。花や魚の絵もうまかった広重。一つの芸しかできないようでは、一流の浮世絵師にはなれなかったということか。
 たまには浮世絵系以外の江戸時代の絵を、ということで取り上げたもののなかでは、円山応挙の「四季遊戯図」は忘れがたい作品の一つになった。四条河原の夕涼みを描いた絵だが、そこではたしかに現代とは別の雰囲気が人間を包んでおり、そのなかに飴屋もいる。
 さて、最後に変わり種にふれて締めくくることにしよう。正岡子規。病人にして、偉大な駄々っ子。この天才が菓子パンを描いてくれていたおかげで、明治のパン屋さんが太鼓を叩いて売り歩いていたということを知り、書くことができた。

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四季遊戯図/円山応挙(第30回)

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かぎやおせん/一筆斎文調(第1回)
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明治風俗十二ヶ月
氷店(八月)/鏑木清方(第6回)

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菓子パン/正岡子規(第10回)

磯辺 勝(いそべ まさる)

エッセイスト、俳人。1944年、福島県生まれ。美術雑誌『求美』、読売新聞出版局などの編集者を経てフリーランスに。著書に『NHK世界美術館紀行』全10巻(共同執筆,日本放送出版協会,2005)、『描かれた食卓』(NHK生活人新書,2007)、『江戸俳画紀行』(中公新書,2008)。『あじわい』誌での連載「菓子のある風景」は、版形もあらたにリニューアルした1999年の春号(124号)から始まった。

画家が描いた「銘菓」‾「武井武雄『日本郷土菓子図譜』」より‾

菓子袋

『コドモノクニ』や『キンダーブック』で大活躍した童画家の武井武雄は、昭和11年から22年間、日本各地の郷土菓子を丹念に記録し、3 冊の私家本『日本郷土菓子図譜』に残しました。
その中には、全国銘菓の加盟店が作り続けている菓子の数々も描かれていました。

 まずは、水彩でスケッチされたお菓子の数々をご覧ください。餅菓子、羊羹、煎餅……。美味しそうでしょう?ここにご紹介したスケッチは、童画家の武井武雄の『日本郷土菓子図譜』(イルフ童画館蔵)から、全国銘菓加盟店のお菓子が掲載されたページを抜き出したものです。

 武井武雄は、大正後期から昭和にかけて活躍した童画家です。明治27年(1894)に現在の長野県岡谷市に生まれ、東京美術学校では黒田清輝や藤島武二に西洋画を学びました。そして、卒業まもなくから児童雑誌に絵を描き始め、大正11年(1922)に『コドモノクニ』 が創刊すると、表紙絵とタイトルロゴを担当。モダンでファンタジックな武井の絵は、子どもばかりか大人をも魅了していきました。
 その武井が『日本郷土菓子図譜』を作り始めたのは、昭和11年(1936)の夏のこと。和紙を綴じて本の形にし、そこに日本中の郷土菓子を記録し ていったのです。
 まず見開き2ページに包装紙や商標ラベル、しおりなどを貼り、次の見開きにお菓子の姿を水彩画でリアルに描くのが基本のスタイルです。絵の余白には、材料や製法、由来、さらに味の感想や入手した日付、お菓子を送ってくれた人の名前も記しました。

 この記録は、戦時中の中断期をはさんで22年間も続きました。全3巻、各巻200 ページほどの図譜には、全部で169 点のお菓子が紹介されています。
 表紙の装丁にまでこだわり抜いた、世界に1つだけの私家本『日本郷土菓子図譜』。武井は、なぜこのような本を作ったのでしょう。激動の時代に、郷土菓子の行く末を案じていたからでしょうか。
 描かれたお菓子の多くが、今も作られ、愛されている奇跡を、美しいスケッチを愛でながら喜びたいと思います。

武井ワールドを存分に楽しめる美術館。
武井武雄が描いた童画や版画作品を展示しており、出版物となった作品を鑑賞できる部屋なども設けられています。『日本郷土菓子図譜』は企画展などでのみ公開。
ミュージアムショップや、ゆったりくつろげるカフェも併設。

住所:長野県岡谷市中央町2-2-1
● 開館:10 時〜19 時
● 休館:水曜(祝日は開館)、年末年始
● 入館料:一般510 円ほか
● 0266( 24 )3319
http://ilf.jp

● 写真提供:新潮社、撮影:青木登(新潮社写真部)

世界の菓子切手 村岡安廣(21)東アジアの銘菓「エッグタルト」 No.174

世界の菓子切手 村岡安廣(21)東アジアの銘菓「エッグタルト」

2010年11月5日マカオ発行のマカオフードフェスティバル10周年記念切手5種の内「エッグタルト」を題材とした4パタカ切手。

マカオより2003年6月18日発行の「文物保護」をテーマとした切手「フランシスコ ザビエル教会」。エッグタルトの名店はこの入口前に始まり、東アジアの銘菓となった。

 江戸時代、南蛮菓子は日本中に広まり、砂糖菓子への関心が大いに高まりました。
 長崎を中心として伝えられた南蛮菓子は、直接ポルトガルやスペインからではなく、中国の人々によってその技術がもたらされたと言われています。
 その中国におけるポルトガル文化の中心地がマカオ。ポルトガルの植民地で1999年に中国へ返還されましたが、ポルトガルの食文化、とりわけ菓子の文化が今も強く根づいています。
 昨年11月にはマカオ・フードフェスティバル10周年を記念して5種の切手が発行され、その中に再びエッグタルトが登場しました*。
 マカオにあるコロアネ島の教会は、長らくフランシスコ・ザビエルの右腕の遺骨が安置されていたことで知られていますが、この教会そばの菓子店がエッグタルトの専門店として名声を誇っていて、今では中国周辺の東アジアの銘菓となっています。
 今回発行された切手には菓子の技術者も描かれ、エッグタルトを本格的に紹介する、すばらしい表現がなされています。
 なお、ポルトガルでは、首都リスボン最大の修道院であるジェロニモス修道院を中心としたべレム地区の銘菓が、エッグタルト=パスティス・デ・ベレム=パスティス・デ・ナタです。この地区のカフェの名店では千夜一夜物語のアラビアの王宮の雰囲気の中でコーヒーとエッグタルトが楽しめます。

村岡安廣

世界の菓子切手 村岡安廣(22)世界最初の菓子切手 No.175

世界の菓子切手 村岡安廣(22)世界最初の菓子切手

オーストリアで1949年に発行された児童保護基金切手のうちの1枚。切手の絵柄の額縁部分の右サイドに書かれている「GEBURTSTAG」が誕生日という意味のドイツ語。

 日本をはじめとした東アジアでは年賀切手の発行が盛んですが、欧米ではクリスマス切手が続々と登場しています。その中で、数多くの菓子がクリスマスの大切な食として、様々な意匠に用いられてきました。
 鶏卵素麺は、わが国では茶道に主菓子として使用される伝統菓子ですが、ポルトガルでは黄金の輝きをもつクリスマスケーキの飾りとして大切な役割を担っています。
 さて、今回はバースデーケーキをテーマとした傑作切手、しかも世界初の菓子切手の紹介です。
 1949年にオーストリアが発行した児童保護基金切手「幸せな子どもの情景」4種の切手のうちの1枚「子どもとバースデーケーキ」が、菓子切手の最初とされています。
 ケーキの上には1本のローソク、子どもの手にはしっかり握られた小さな匙。「さあ、ローソクを消してケーキをどうぞ」という声が聞こえてくるような光景です。
 オーストリアでは華やかな宮廷の歴史により、様々な芸術文化、生活文化が花開きました。首都ウィーンは芸術の都と言われ、カフェ文化が今なお街の中に息づいています。オーストリア各地にも様々な菓子が存在し、とりわけウィーンではザッハートルテをはじめとする数多くの銘菓が楽しまれています。
 チョコレートケーキであるザッハートルテは、約200年前のウィーン会議の折に発案され、ウィーン菓子の代名詞となっている菓子です。この切手に描かれているバースデーケーキも、形状や色合いからザッハートルテをモチーフとしたものと見受けられます。
 第二次世界大戦により悲哀を味わったオーストリアですが、菓子という生活文化、凹版印刷切手という芸術文化のいずれにもあふれる誇りと自信が、すばらしい菓子切手の傑作を生み出したのです。

ポルトガルの年末年始と鶏卵素麺  国民の9割以上がカトリック教徒であるポルトガルでは、クリスマスは特別な日。イブの夜は家族でテーブルを囲んでご馳走を食べ、さらに何種類ものお菓子を用意します。なかでも代表的なお菓子が、鶏卵素麺でデコレーションしたボーロ・レイ(王様のケーキ)や、卵黄と鶏卵素麺でヤツメウナギの形をかたどったランブレイアというユニークなケーキ。これらをクリスマスから新年にかけて、毎日ゆっくりと食べていきます。ポルトガルの鶏卵素麺はFios de ovos(フィオス・デ・オーヴォシュ)と言い、直訳すると玉子の糸。輝くような黄色が、ポルトガルの年末年始を彩ります。 1999年、ポルトガルで発行された切手「修道院の菓子シリーズ」より。(本エッセイの第1回/153号でご紹介しました。全国銘菓のホームページでご覧になれます)

村岡安廣

世界の菓子切手 村岡安廣(23/最終回

世界の菓子切手 村岡安廣(23/最終回)菓子切手あれこれ

ユニバーサル技能五輪国際大会の記念切手 平成15年発行のグリーティング切手 平成20年発行の冬のグリーティング切手(お菓子がいっぱい)

 「世界の菓子切手 村岡安廣」もいよいよ最終回。これまでご紹介していない日本の菓子切手を選び出しました。
 近年目立つのは、洋菓子が描かれた切手です。平成19年、ユニバーサル技能五輪国際大会を記念して発行された切手には、コンピュータプログラミングや左官、フラワーアレンジメント、自動車板金などとともに洋菓子製造を描いた2種が、10面切手シートの中央にデザインされています。
 左側の1種は生クリームらしき紙パックと製菓器具を持つ洋菓子技術者が「SKILLS(技術)2007」の金文字入りの白い玉状のケーキとイチゴのショートケーキを背景として描かれています。一方、右側の1種には製菓器具を使用しながら作業をする洋菓子技術者が淡い水色と線描きで表現されました。
 和菓子は登場しにくい状況の国際大会であり、パティシェ志向の高まりが示された切手となっています。
 季節ごとに定期的に発行されているシール式のグリーティング切手にも様々な洋菓子が紹介されています。
 まず、平成15年2月10日発行の80円切手5枚のグリーティング切手の右から2枚目に描かれた鳥の飾りをつけたイチゴのショートケーキです。「ケーキをどうぞ」のタイトルで、「ハート」「おめでとう」「寒いね」「寿」などのデザインとともに配置され、切手の下には小さなイチゴのシールも付属品として加わっています。
 平成20年12月8日発行の冬のグリーティング切手の背景には、冬の生活を楽しくするチョコレート様のデザインが登場し、平成22年1月25日発行の春のグリーティングの背景にも板チョコレートが示されました。後者はスイスやフランス、ベルギーで発行されたチョコレートの匂いがする切手と同型式ながら、匂いはしないようです。
 平成22年11月8日発行の冬のグリーティング切手で初めて発行された90円切手シートでは、右端が3種のケーキが並んだ切手となりました。手前からチョコレートケーキ、緑色のスポンジケーキ、イチゴのショートケーキで、それぞれに飾りが付けられています。

平成22年1月発行の春のグリーティング切手(チョコレート)。バレンタインデーを前に、板チョコを背景にしたデザイン

平成22年11月発行の冬グリーティング切手

平成元年7月14日〜9月3日に開催された「新潟 食と緑の博覧会」の記念切手。右下に描かれている同博覧会のマスコット「ダンちゃん」は、新潟の伝統菓子「笹だんご」から生まれたキャラクター

 残念ながら本格的な伝統菓子の意匠の切手はほとんど見当たらず、わずかに新潟の「笹だんご」に留まっています。しかも平成元年発行「新潟 食と緑の博覧会」記念のふるさと切手の右下に脇役として登場する小さな「笹だんご」です。
 今年初頭、日中国交正常化40周年を記念して、北京故宮博物院200選の展示が東京国立博物館にて行われました。その折、長い行列をつくった作品が、このエッセイで紹介した「清明上河図」でした(『あじわい』165号・189ページ参照)。
 中国文化が輝きを放った黄金期の一つである北宋時代に描かれた「清明上河図」には様々な情景が登場し、その中に食文化も数多く示されています。この時代から盛んになったといわれ、わが国にも伝えられて広く普及した餅や饅頭などの菓子のおいしさは、この図に描かれている人々の盛大なエネルギーの源泉となったものといえましょう。
 さらに再三、切手で登場したポルトガルに由来をもつ南蛮菓子も「西洋の骨董」といわれるポルトガルのお国柄から、象徴的な伝統文化の紹介となっています。そして、そのおいしさと感動が今の日本にも数百年の時空を超えて生き続けています。
 中国文化、南蛮文化の影響を受けながら、今や名実ともに世界一の菓子消費国となっている日本ですが、郵便切手をはじめ様々な国レベルの広報ツールは未整備で、文化としての菓子の認識は未だ弱いように感じられます。未来にわたり伝統菓子が生き続け、「おいしさと感動」が末永く伝えられるためにも、今こそ菓子という伝統文化に光を当て、菓子の持つ力を再評価すべき時でありましょう。

村岡安廣

「広告付き葉書」をご存知ですか?

「広告付き葉書」をご存知ですか? 吉田榮一

月世界本舗(富山県) 両口屋是清(愛知県)
月世界本舗(富山県)
昭和57年5月1日発行。当舗所蔵の「月宮殿の図」を意匠に、菓子銘のみを配して、菓子の文化的側面を表現。
両口屋是清(愛知県)
昭和56年12月1日発行。代表銘菓の銘と優雅な意匠をそのまま意匠に活かして。

村岡総本舗(佐賀県) 柴舟小出(北海道) 六花亭(北海道)
村岡総本舗(佐賀県)
昭和57年3月1日発行。店の菓子作りの真摯な姿勢を訴える「羊羹手づくり」の絵をモチーフに。
柴舟小出(北海道)
昭和56年12月1日発行。加賀の紋どころ「梅」を紅梅の俳画にして、菓子どころ金沢をイメージ。
六花亭(北海道)
昭和57年2月1日発行。代表銘菓を大胆に配置。「ふきのとう」のパッケージが、まさしく春を呼び込む。

 皆様は表面の下部3分の1に企業や団体の広告が印刷されている「広告付き葉書」を受け取ったり、買われたりしたことがありますか。
 広告付き葉書は、現在も郵便局で「エコーはがき」という名前で売られていますが、常時発行されているわけではない上、地域限定発売が多く、さらに一般の葉書よりも5円安い45円で売られているため大量購入される方もいて、発売初日に売り切れることもしばしば。でも、機会があれば、ぜひ一度、手にとってみてください。地方色豊かなものも多く、なかなか楽しいものです。
 広告付き葉書の第1号発行は、昭和56年7月のこと。郵便料金値上げによる郵便離れを防ぐためと増収をねらった郵政省の苦肉の策だったのですが、見事に当たって一大ブームを巻き起こしました。
 当時の値段は35円(当時、普通葉書は40円)。全国版と地域版があり、全国版は大企業がスポンサーとなって1種類で1千万枚前後が全国の郵便局で発売されました。一方、地域版は地方の有名企業や団体がスポンサーとなって5万枚〜100万枚が指定地域の郵便局で販売されました。
 全国銘菓の加盟店がスポンサーになったものも多く、今回は、その中から昭和56〜58年に発売されたものをご紹介いたします。いずれも老舗らしい品格を備えながら、各店の社風もそれぞれ漂わせているような気がいたします。ひととき、お楽しみいただけたら幸いです。

鶴屋吉信(京都府) 五勝手屋本舗(北海道) 千秋庵(北海道)
鶴屋吉信(京都府)
昭和57年2月1日発行。京都らしい愛らしい女の子の意匠。翌年も別の図案で発行されている。
五勝手屋本舗(北海道)
昭和58年6月1日発行。江差追分の譜面が、地域性を強く感じさせる。江差追分会との共同発行。
千秋庵(北海道)
昭和57年6月1日発行。代表銘菓2点に「いま、さっぽろから」という斬新なコピーを添えて。

お菓子の香梅(熊本県) 九重本舗 玉澤(宮城県) なごみの米屋(千葉県)
お菓子の香梅(熊本県)
昭和57年12月1日発行。和菓子を楽しむ人々を描いた絵が美しい。
九重本舗 玉澤(宮城県)
昭和57年8月2日発行。仙台の伝統と風土が生んだ、誇り高き銘菓をそのまま意匠に。
なごみの米屋(千葉県)
昭和58年6月1日発行。暑中見舞いに使われたのだろうか。翌年にも別デザインで発行。

柏屋(福島県) 小布施堂(長野県) 龜屋(埼玉県)
柏屋(福島県)
昭和58年12月1日発行。湯気の中に見えている薄皮饅頭のおいしそうなこと。お店の温かな雰囲気までが伝わってくる。
小布施堂(長野県)
昭和56年10月1日発行。歴代のご当主が愛され、お店のシンボルともなっている北斎の「傘風子図」を意匠に。
龜屋(埼玉県)
昭和58年11月1日発行。6代目のご当主が描かれた重厚な蔵造りの本店の絵がすばらしい。

吉田榮一(よしだ・えいいち)

富山県富山市にある「月世界本舗」3代目当主。昭和12年生まれ。長年、「菓子」をメインテーマにした切手収集を続けており、今回紹介した広告付き葉書もコレクションの一端。

追悼特殊 安西水丸さんが描いたお菓子

追悼特集 安西水丸さんが描いたお菓子

イメージ この3月、日本を代表するイラストレーター、安西水丸さんが急逝されました。
『あじわい』では、水丸さんに1999年の春号から今年2014年の春号まで、
15年余にわたって、表紙のイラストレーションをお願いして参りました。
全国各地の銘菓あり、季節の上生菓子あり、
団子やぼた餅などのおやつ菓子あり……
様々なお菓子に水丸さんのコレクションを合わせて描かれた61枚の作品は、
いずれも明るく、上品で、幸福感に満ちていました。
感謝と哀悼の意を込めて、その作品の一部をここにご紹介いたします。

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安西水丸さんのコレクション

『あじわい』のお菓子と一緒に描かれていたスノードームや灯台の置物、郷土人形などは、すべて安西水丸さんのコレクションです。青山の仕事場には、コレクションの一部が、専用のキャッビネットやデスクの上、書棚の隙間にぎっしりと置かれています。

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『あじわい』の表紙は、2015年春号までは、
安西水丸さんのこれまでの作品をレイアウトを変えて掲載していく予定です。

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発酵博士のおやつ話(1) 餡のパン 小泉武夫

餡のパン 小泉武夫

 日本人がはじめてパンを知ったのは、室町時代の天文年間(一五三二〜五五)で、ポルトガル人によるという。しかし、「パン」として名が文献に登場したのは、それよりずっと後の江戸時代で、一七一二年の『和漢三才図会』である。そこには「蒸餅とは、餡なしのまんじゅうのことで、オランダ人はパンと呼んで常食している」とある。ここで注意しなければならないのは「蒸餅」とあることで、これでは中国式の「饅頭」、すなわち蒸しものであったことになる。
 本来、パンは蒸すものではなく、酵母で発酵させた後、焼いたものであるから、「蒸餅」をパンと同じものとみていたことは、当時のパンは中国の影響をかなり受けていたものであったのだろう。
 ところが、それから六年後の享保三年(一七一八)に出された『御前菓子秘伝抄』には、びっくりするようなパンの造り方が書かれてある。「小麦粉を甘酒でこね、それを適宜の形にしておくとふくれてくる。一晩寝かせてフルメントをつくる。これを、土を厚く塗りたてた釣り鐘型のかまどに並べ、たきぎを燃やしながら焼く」という内容である。
 フルメントとは、ポルトガル語のFermento、すなわち発酵のことである。 まさに、蒸餅という中国系の蒸しパンに対して、ヨーロッパ系の発酵パンがここで初めて述べられていることは、実に興味深い。そして、何といっても貴重なのは、甘酒を加えている 点であって、これは相当な知恵の証でもある。甘酒は米麹の糖化液で、これには極めて旺盛に酵母が増殖し、発酵する。酵母が十分いて、発酵が理想的に進めば、焼き上げてからの風味は大変良く、そのうえ甘味も付与できるから、美味なパンができあがったはずである。
 ただし、江戸時代にこのような文献があっても、当時、ヨーロッパ系のパンが焼かれていたという証拠は見つかっていない。だが、甘酒という日本独特の発酵補助材を使うことや、日本に見られるかまどを使うなど、かなり具体的な記述があるので、実際には一 部でヨーロッパ系パンが焼かれていたのであろう。小麦粉に酒種を加え、発酵させた「酒まんじゅう」との折衷品だったのかもしれない。
 その酒まんじゅうは蒸し菓子の一種で、焼いて仕上げる西欧パンとは異なり歴史も古い。その造り方は実に日本的で、もち米をやわらかく煮上げ、そこに麹を加えて糖化を行い甘酒とする。そのままにしておくと酵母の増殖が起こり、風味のアルコールを生 成させて、いわゆるドブロク(濁酒)になる。そのドブロクで薄力粉をこね、これで餡を包み、酵母の発酵で十分にふくらませてから、蒸籠で蒸したものである。

 当時はその蒸しまんじゅうを平鍋に伏して、まんじゅうの頭の部分に焼印を押したものが主流のようであったが、この製法は明治に入るとアンパンに変化した。最初に考えついたのは、明治九年に木村屋初代の木村安兵衛で、米麹と甘酒と酒種を使ったパンに、餡を入れたものであった。その後、次第に日本人の間に広まっていき、明治末年には、全国で一日に数十万個ものアンパンが売れるという大当たりの商品となった。
 日本人は、いつの時代でも理に適った知恵とユニークな発想で発酵技術を拓いていくのに長けている。

写真提供: 豊島屋
 

    

小泉武夫(こいずみ たけお)

東京農業大学名誉教授(農学博士)。 文筆家。NPO 法人発酵文化推進機 構理事長。昭和18 年、福島県の醸 造家に生まれる。専攻は醸造学、発 酵学、食文化論。世界中の民族の食 文化を調査し、多くの著作や講演、 テレビ出演などを通して、そのすばらしさ・楽しさを広く伝えている。 主著・近著に『酒の話』(講談社現 代新書)、『発酵』(中央公論社・中 公新書)、『くさい食べもの大全』(東 京堂出版)、『食のベストエッセイ集』 (IDP 出版)、『猟師の肉は腐らない』 (新潮社)など。1994 年から日本経 済新聞夕刊に掲載している「食あれば楽あり」でもおなじみ。

発酵博士のおやつ話(2) 味噌菓子そしておやつ 小泉武夫

味噌菓子そしておやつ 小泉武夫

 日本の発酵調味料である味噌や醤油を使った菓子は少なくない。例えば味噌には味噌煎餅、味噌松風、味噌柏餅、はなびら餅、味噌飴などがあり、醤油には煎餅、豆菓子、御手洗団子、磯辺焼などがある。なかでも日本全国津々浦々に味噌を使った菓子あるいはお茶請け、おやつといったものが点在していることは面白いことである。以下に、私こと発酵仮面がこれまで出合ってきた味噌菓子について語ることにする。
 岩手県二戸市郊外の農家で食べたのは「けえば餅」というものであった。「けえば」とは「木の葉」のことで、柏の葉である。
 餅十六個分にそば粉一・五升を使い、ほかに塩、味噌、黒砂糖、クルミを用意する。そば粉一・五升に湯を四合〜五合加えて練り、皮をつくる。適宜の大きさに切った皮を小判状に薄くのばし、それに餡(味噌に黒砂糖を加え、粗くくだいたクルミも好みの量加えてよく混ぜる)を入れ、しっかりと閉じる。それを柏の葉で包んでから囲炉裏の熱灰の中に入れて十分ぐらい焼く。あるいは、炭火の上の網渡しの上で焼いて出来上がりである。柏の葉が焼かれてとても香ばしく、さらにそばの香りもぷんぷんとしてきて、また餡は味噌と黒糖との甘塩っぱさにクルミのコクが被さって絶妙であった。
 山形県長井市では「味噌揚げ」という珍しい菓子を食べた。糯米粉と粳米粉を半々に混ぜた粉五合、水三合、ご飯茶碗で砂糖一杯、味噌半杯、粗くだきクルミ一杯、ゴマを茶飲み茶碗一杯用意する。まず大きな容器に粉を入れておく。鍋に砂糖、味噌、水、ゴマを入れて火にかけ、煮立ったら、粉を少しずつ加えながらヘラでかき混ぜ、時々クルミを入れながら粉を練っていく。粉を入れ終わったらさらによく練って、丸めて平たくしてから油で揚げたものである。
 これは本当においしかった。米粉が油で揚げられてかき餅のように香ばしくなり、また味噌の甘塩っぱさと重厚なうま味、ゴマやクルミからのコク、さらに揚げ油のペナペナとしたコクなどが口の中で一体化して、味覚極楽の味がした。
 

 富山県の「やきつけ」というのも、田舎風でとても印象に残っている。粳米の粉を熱湯でこね、よもぎの新芽を茹でて細かく刻んだものを加え、さらにこねて耳たぶほどの固さにする。これを大判形の団子にし、鉄鍋で両面をこんがりと焼き、ゴマ味噌をつけて食べるのであった。とても素朴で、農村風景によく似合うおやつであった。
 千葉県では味噌饅頭を食べた。小麦粉と味噌を水で溶き、鉄板または鉄鍋にミョウガの葉を敷いてそこにのせ、葉を二つに折って被せ、弱火でじっくりと両面を焼いて食べるのであった。素朴な味わいの饅頭だが、ミョウガの葉が焼かれて饅頭についた匂いはとても香ばしく、その上、健康的な快香がして大いに気にいった。似たものに東京には昔から「焼きびん」と称するものがあった。小麦粉に味噌、砂糖、ふくらし粉を加えて耳たぶほどの固さに溶き、てのひらで丸めて青紫蘇の葉に包んでから焼いて食べるものである。
 群馬県沼田市名物の味噌饅頭は、なかなかのものであった。蒸した粳米(おこわ)と小麦粉、米麹を水で練り、平たっぽく丸めて一日置くと発酵する。これを蒸してから長い串に刺し、味噌ダレをつけて焼いて食べるのである。非常に手のこんだ素晴らしい饅頭であった。
 ほかに島根県で食べた味噌と小麦粉と砂糖、トウガラシ、ゴマでの柚餅子、沖縄県石垣島で食べた水溶きした小麦粉を薄く広げて両面を焼いた皮に豚肉の油味噌を芯にしてくるくると巻いた「ぽーぽー」と呼ぶおやつも忘れられない。

    

小泉武夫(こいずみ たけお)

東京農業大学名誉教授(農学博士)。 文筆家。NPO 法人発酵文化推進機 構理事長。昭和18 年、福島県の醸 造家に生まれる。専攻は醸造学、発 酵学、食文化論。世界中の民族の食 文化を調査し、多くの著作や講演、 テレビ出演などを通して、そのすばらしさ・楽しさを広く伝えている。 主著・近著に『酒の話』(講談社現 代新書)、『発酵』(中央公論社・中 公新書)、『くさい食べもの大全』(東 京堂出版)、『食のベストエッセイ集』 (IDP 出版)、『猟師の肉は腐らない』 (新潮社)など。1994 年から日本経 済新聞夕刊に掲載している「食あれば楽あり」でもおなじみ。