発酵博士のおやつ話(3) 発酵酒饅頭のこと 小泉武夫

発酵酒饅頭のこと 小泉武夫

 小麦粉などに水を加えて練り、これを酵母で発酵してから焼くとパンになり、蒸すと発酵饅頭のたぐいになる。
 日本における最初の頃のパンは、江戸後期に、練った小麦粉に酒種(酵母で発酵している日本酒の?あるいは醪)を加えて発酵させ、かまどで焼いたものであった。それより以前は、酒種で発酵させたものを焼かないで蒸したものであったので、我が国ではパンよりは発酵饅頭、すなわち酒種饅頭の方がずっと歴史は古い。
 今は、このたぐいの発酵饅頭はずいぶんと姿を消してしまったが、昔は全都道府県に点在していた。そして、今もって地方へ行くと、発酵饅頭を作っているところがあるのは嬉しいことである。私は「発酵仮面」と渾名される発酵学者であるので、地方に行く時には、どこでどんな発酵食品を味わえるのかが旅の楽しみの一つでもあるのだ。そのため、これまで出合った発酵饅頭、あるいは酒饅頭、甘酒饅頭のたぐいはとても多かった。
 印象深かったのは、熊本県鹿本郡植木町で食べた甘酒饅頭で、米麹に少しの水を加えて50℃に保って一晩置き、固めの甘酒を作り、それを一度天日で干す。この干し上げたものが種となり、かなり保存ができる。この種には酵母がたくさんいて、水とご飯を混ぜ、それに種を加え、これを1日発酵させる。それをふきんのような布で濾し、その汁で小麦粉を練る。30〜40分もすると膨らんでくる。それを再びこね、2回目の膨らみがきたら、梅干しの種ぐらいの大きさにちぎり、中に小豆餡を入れる。すると、またすぐ膨らんでくるので、その時を見て蒸して出来上がりである。
 その甘酒饅頭を一個手に取って、ガブリと口に入れて噛むと、瞬時に鼻孔から甘ったるい酒の微かな匂いや、小麦粉が蒸された時に出る食欲を奮い立たせる甘ったるい匂いが抜けてきて、口の中ではムチムチとした饅頭の中からうま味と餡の甘みとがジュルジュルと湧き出してきたのであった。
 意外かもしれないが、首都圏に近い神奈川県は、酒饅頭を作る地域がとても多い。相模原市上溝地区、足柄上郡山北町中川地区、津久井郡藤野町佐野川地区(今の相模原市)などで、上溝地区と中川地区は米麹を使った甘酒饅頭に餡を中に入れるのに対し、佐野川地区は麦麹で甘酒を作り、饅頭の中に餡だけでなく味噌を入れることもある。
 大分県もよく酒饅頭を作るところで、くじゅう高原の直入郡直入町神堤地区(今の竹田市)のものは大変手の込んだ酒饅頭である。
 まず「酒」を造る。白いご飯を茶碗に3杯と米麹を2杯混ぜ、種(前回、酒饅頭を作った時にとっておいたもの)を1杯、水8合を混ぜて1日間置く。ぶくぶくと湧くので、これを笊で濾す。小麦粉に塩少々加えて、こね鉢に入れ、そこに「酒」を加えてよくこねる。こねるほど、できた饅頭はよい。適当な大きさにちぎり、餡を入れて丸め、山帰来(ユリ科蔓性低木)の葉にのせてねかせ、約1時間(夏)から2時間(冬)すると発酵して膨らんでくる。指で押してすぐに戻るようになったら、蒸籠で蒸して出来上がり。お盆の時には饅頭の中に甘い餡を入れるが、ほかのときは塩餡が多く、また中に餡を入れない酒饅頭も作り、それを食べる時は黒砂糖や蜂蜜をつけて食べる。
 ほかに山梨、長野、青森、大阪、佐賀、長崎あたりも酒饅頭の多い地域であった。
 

    

小泉武夫(こいずみ たけお)

東京農業大学名誉教授(農学博士)。 文筆家。NPO 法人発酵文化推進機 構理事長。昭和18 年、福島県の醸 造家に生まれる。専攻は醸造学、発 酵学、食文化論。世界中の民族の食 文化を調査し、多くの著作や講演、 テレビ出演などを通して、そのすばらしさ・楽しさを広く伝えている。 主著・近著に『酒の話』(講談社現 代新書)、『発酵』(中央公論社・中 公新書)、『くさい食べもの大全』(東 京堂出版)、『食のベストエッセイ集』 (IDP 出版)、『猟師の肉は腐らない』 (新潮社)など。1994 年から日本経 済新聞夕刊に掲載している「食あれば楽あり」でもおなじみ。

発酵博士のおやつ話(4) 醤油菓子とおやつ 小泉武夫

醤油菓子とおやつ 小泉武夫

 菓子の一般的イメージは甘味を持つことである。そこに甘味とは正反対の塩味の濃い醤油を使うというのであるから、そういう菓子やおやつはなかなか無いだろう、と思っていたら、実は昔から隠し味に重宝していたという話を聞いて、少々驚いた。確かに醤油は塩っぱいだけでなく、強いうま味も持っているから、使い方次第では隠し味になって当然だ。
 では、どんなものの隠し味に使われるのかというと、饅頭、どら焼き、羊羹、かりんとう、甘納豆、飴玉、油揚げ菓子といった日本のものから、カステラやケーキ、パン菓子、リーフパイ、キャラメルといった西欧菓子にも使われることがあるということである。
 しかし、こそこそと隠されて使われるのではなく、正々堂々と胸を張って使われ、むしろ醤油がないと製造は不可能だという菓子もあって、それが草加煎餅に代表される醤油煎餅である。小丸形の手頃な大きさ、カリッとした歯ざわり、茶褐色の焦げ色、香ばしい焼き香などが嬉しく、昔から日本人の茶の間で愛し続けられてきた伝統的菓子である。
 その原型は、日本古来の堅餅(乾餅)という、焼いて食べる保存食で、最初は塩味をつけたものだった。江戸時代初期、すでに江戸近郊の町屋、柴又、千住、竹塚、草加あたりの農家では、米の粉を蒸してから平たく固めて焼き、塩味をつけた丸塩餅を自家用に作って食べていた。なかでも草加は奥州街道の宿駅として開け、宿屋、立場、茶店、商店が軒を連ね、南の千住宿、北の粕壁宿の中間にあって旅人の休憩地となって賑わっていた。
 そうすると、丸塩餅は誰となく旅人の求めによって売られるようになり、さらに保存が効くので参勤交代によって行き来する奥州諸藩の大名の江戸土産にもなって名物化した。すると塩味だけでは淋しすぎるというので、そのうちに堅餅に味噌溜を塗って焼いたものができ、さらに江戸川や利根川沿いで醤油醸造が盛んになると、今度は堅餅に醤油を塗って焼く今の形になったのである。
 醤油は、火で焙られるとアミノカルボニル反応が起こって色が赤褐色になり、また米の焦げ香と醤油の焦げ香が融合して、絶妙の香ばしい匂いを発し、食欲を盛り立てるので大いに売れたのである。  

 醤油煎餅が乾燥したドライ菓子の代表だとすると、醤油を使ってドロドロと湿ったウエットおやつの代表は御手洗団子であろう。竹串に小粒の団子を五つ差して醤油でつけ焼きにしたものである。
 昔から京都の加茂御祖神社(下鴨神社)に参詣した人は、境内を流れる御手洗川に足をひたし、無病息災を祈った後、敷地内の茶店で売っている御手洗団子を食べるのがお決まりであった。「御手洗」とは神仏を拝む前に参拝者が手を洗い、口をすすぐ場所である。
 下鴨神社の御手洗団子は竹串に五つ差してあるが、よく見ると一番先にある団子が一つだけやや大きく、二番目との間が少し空いている。
団子は厄除けが目的で、一つ目の大きいのが頭、下の四つが手足と体を表している。この人形を形どった団子を神前に供えてお祈りをし、それを家に持ち帰ってから醤油をつけて火で焙って食べると厄除けになるというのが本来の姿で、今は初めから醤油をつけて焙ったものが売られている。  

 さて、食いしん坊の我輩、どんな醤油の楽しみをしているのでしょうか。
その一つは、まず食パンに刷毛で醤油をさっと塗り、一度キツネ色まで焼いたらすぐにバターを塗って食べる。その時、焼き海苔を上にのせるとまた格別。
お汁粉をつくる時、塩の代わりに醤油を使うと絶妙。大学芋をつくる時、サツマイモを油で揚げてから、醤油と水飴、水を煮立たせてからめると抜群。焼きリンゴをつくる時、バターと砂糖のほかに醤油を加えてつくると感激。  

    

小泉武夫(こいずみ たけお)

東京農業大学名誉教授(農学博士)。 文筆家。NPO 法人発酵文化推進機 構理事長。昭和18 年、福島県の醸 造家に生まれる。専攻は醸造学、発 酵学、食文化論。世界中の民族の食 文化を調査し、多くの著作や講演、 テレビ出演などを通して、そのすばらしさ・楽しさを広く伝えている。 主著・近著に『酒の話』(講談社現 代新書)、『発酵』(中央公論社・中 公新書)、『くさい食べもの大全』(東 京堂出版)、『食のベストエッセイ集』 (IDP 出版)、『猟師の肉は腐らない』 (新潮社)など。1994 年から日本経 済新聞夕刊に掲載している「食あれば楽あり」でもおなじみ。

発酵博士のおやつ話(5) 発酵あじわい菓子 小泉武夫

発酵あじわい菓子 小泉武夫

 鹿児島大学の客員教授となってから、かれこれ十年になる。平均すると月に一度の割で講義に行っているので、もう何百回と行った。講義のない日は、県内のあちこちを廻って発酵食品や珍しい食べ物を散策している。鹿児島大学のみならず琉球大学や広島大学、石川県立大学などでも客員教授をしているので、それらの地でも時間があるとそうしている。だから、これまでに面白いものを見つけるたびにメモしてきたノートは十冊ぐらいにはなっている。
 さて、まずは鹿児島県で見てきた面白い菓子の最初は、大学の調査研究で奄美大島に行った時のことである。
 ある農家の庭先に大きな漬物甕が口を下にして逆さにひっくり返されていて、地に接している口のところには衣が敷いてある。一体、何をしているのかと思って、その家の人に聞いてみると、収穫したばかりのニンニクで饅頭用の餡を作っているのだという。
ニンニクの皮をむいて洗い、一晩水に漬けて翌日水を切ってから、ニンニク一升に塩三合を加え、よく揉んでから甕に入れ、その上にバナナの葉を五、六枚かぶせておく。一週間たったら甕をひっくり返して逆さにし、空気をなるべく入れないようにするのだという。こうしてまた一カ月たったら、その塩漬けニンニク(三キログラム)に黒砂糖水(黒砂糖二升五合に水五合を加え、炊いてから冷ましたもの)を加え、さらに二カ月発酵させると、ペトペトとした真っ黒い発酵ニンニク餡ができる。これを水で溶いてスタミナ源として飲んだり、蒸し饅頭に餡として入れるということであった。これだとキンニクマンでなくニンニクマンだなあ、と思い面白かった。  

 また、同じ鹿児島県の入来町(今の薩摩川内市)に行った時、「あわんなっと」というのを食べた。「なっと」といっても、例の糸引き豆ではない。釜に湯を沸かし、そこに粟餅を入れ、さらに黒砂糖と少々の塩を加え、片栗粉の水溶きを流し込んだもので、これはドロリとした中に粟餅の感触がとてもよく、なかなかのものだった。これには生姜汁をちょっと滴らすともっと美味しくなるだろうと思った。
 霧島神宮近くに行った時、ちょっと面白い「ゆべし」に出合った。柚子の皮を擦りおろし、糯米10、赤味噌10、砂糖5〜10、好みの量の胡麻と唐辛子粉を加えて混ぜ合わせ、粘りが出るまでよくこねる。これを十五センチぐらいの長さにしてから、前もってよく洗って湯通ししておいた竹の皮に包み、紐で括って、蒸して出来上がりとなる。この菓子を茶請けにしたところ、いやはや美味いのなんの。
 琉球大学にも、もう何十年も講義に行っている。糸満市では「味噌なんとぅー」という蒸し菓子に出合った。糯米一升を一晩水に漬け、石臼で水挽きし、布袋に入れて強く重石をかけて充分に水を抜く。この米を一日風にさらし、これに赤味噌(六百グラム)と粉にした黒砂糖(九百グラム)を加え、辛みの強い香辛料のピパーズ粉を少量加え、よく摺り混ぜ、捏ねる。これを細長く形づくり、その上に落花生と白胡麻をのせてから蒸したものである。黒砂糖と味噌の甘じょっぱいバランスがとてもよく、そこにピパーズからの南国の匂いとピリ辛が付いていて、大人の菓子であった。  

 大分県の別府大学にも講義に行っているが、日田市に行った時、奇妙な饅頭に出合った。その名も「さるまんじゅう」である。高崎山の猿ではなく、もっと高尚な申のことで、暦の申の日に安全を祈願して食べる饅頭だという。
 その作り方がユニークで、小麦粉と重曹(炭酸ソーダ)と黒砂糖の混合物に水を加え、よく混ぜて(重曹と黒砂糖がとけて)から、そこに食酢少量を加えると発泡して膨張する。それをよく捏ねて饅頭の皮を作り、この皮で漉し餡を包み、それを蒸籠で蒸して出来上がり。皮には発泡ガスを含む上に、黒砂糖を加えてあるので、その饅頭はふっくりふんわりと膨らんで、見た目も味もとてもよく出来ていた。
 全国のあちこちで見たり、食ったりしてきた発酵に関わる菓子の話、もっと読みたいと思うでしょうが、続きはまた次回ということに。  

    

小泉武夫(こいずみ たけお)

東京農業大学名誉教授(農学博士)。 文筆家。NPO 法人発酵文化推進機 構理事長。昭和18 年、福島県の醸 造家に生まれる。専攻は醸造学、発 酵学、食文化論。世界中の民族の食 文化を調査し、多くの著作や講演、 テレビ出演などを通して、そのすばらしさ・楽しさを広く伝えている。 主著・近著に『酒の話』(講談社現 代新書)、『発酵』(中央公論社・中 公新書)、『くさい食べもの大全』(東 京堂出版)、『食のベストエッセイ集』 (IDP 出版)、『猟師の肉は腐らない』 (新潮社)など。1994 年から日本経 済新聞夕刊に掲載している「食あれば楽あり」でもおなじみ。

発酵博士のおやつ話(6) 農家の甘み 小泉武夫

発酵あじわい菓子 小泉武夫

 全国を旅して、さまざまな郷土料理を賞味してみると、おやおやこれは菓子を商品化する時、とてもよいヒントになるなあ、などと感心することがある。今回は餅とクルミと発酵調味料の、ただならぬ甘い関係を述べるので、参考にされるとよろしい。
 まず餅だ。愛媛県久万山麓に行った時、農家で食べさせてもらった「醤油餅」の素朴な味は、とても印象的であった。
 作り方を聞くと、粳米の粉五合と黄ざらめ糖五合をよく混ぜてボウルに入れ、沸騰している湯を二合半ほど少しずつ足していって混ぜながらドロドロにする。途中、醤油を盃に三杯ほど加える。これを麻布を敷いた蒸籠に流し込み、二十分ほど強火で蒸し、固まってきたら洗ってからよく拭いたボウルに戻す。それにショウガ汁をたらし、連木(すりこぎ棒)で搗き混ぜる。熱いうちに手水をつけながらよく捏ね、小餅の大きさにちぎり分け、小判型にする。それにぬらした丸箸を押しつけて菱形や縞、格子などの模様をつける。これを再び蒸籠に並べて五、六分蒸し、取り出すとすぐに団扇であおいで冷ます。こうして急冷すると、艶が出て光沢し、見た目にも美味しく見えるという。  

 これを食べた時の印象だが、砂糖と醤油の甘じょっぱさがよく、そこにショウガの風味がついて、とても素朴な菓子であった。
 岐阜県飛騨古川で食べた「粕餅」も忘れられない昔の味がした。蕎麦粉と米粉と酒粕を混ぜて少しの水で練り、それを鍋で焼く。中火でゆっくりと焼くことが大切だという。焼きあがったものを餅のようにして切り分け、黄な粉か砂糖、好みにより塩をつけて食べる。
 その印象だが、酒粕の香りが酒饅頭のように甘く、深い味わいも妙で、こちらも昔らしい素朴な菓子であった。その時、「荏胡麻の油を塗って食べると、もっと美味しくなるよ」と言われたので、小さな刷毛で塗ったものに黄な粉をつけて食べたところ、今度はもの凄くコクがついて美味であった。
 面白いなあ、と思ったのは、石川県能登町の農家に行って味噌の古い造り方を見せてもらった時であった。原料の大豆を煮た時に出る煮汁を、なんと捨てずに鍋で煮詰め、これに米麹と味噌と好みの量の南蛮(とうがらし)を加えてから擂り鉢で擂り混ぜ、ドロドロ状にしたのが「あめ味噌」。甘じょっぱさとピリ辛を伴った深い味わいは、古風であった。熱いご飯にのせたり、饅頭の餡の代わりにしてもよろしいと言う。それにしても、煮汁さえ捨てずに使ってしまう昔の人たちの知恵には感心させられた。
 なるほど、昔は地方の農家では砂糖は貴重品だったのであろう。その砂糖に代わる甘味材に熟柿を使った島根県出雲近郊での焼き餅もなかなかのものだった。  

 作り方は、米粉二合に蕎麦粉八合、熟した柿十個を加えてぬるま湯で捏ね、偏平な餅にする。これを浅い鉄鍋で焼き、味噌を塗って食べる。ねっとりとした甘みが舌にからみ、二種の粉が焼かれてとても香ばしい匂いを発し、味噌のうまじょっぱさが柿の甘みと融合して、茶請けにぴったりの焼き餅であった。
 我が輩はクルミがとても好きなのだけれども、この堅果ほど味噌に合うものは、めったに無いと思っている。その中で、山形県長井市郊外の農家で食べた「味噌くるみ餅」は、とても美味しかった。味噌、ざらめ糖、クルミ、水に浸した大豆、胡麻を合わせてから鍋で煮詰める。この時、焦げつかないように絶え間なくヘラでかき混ぜることが肝心だという。別に糯米を蒸かし、これを臼に移して五分どうり搗けたところに鍋で煮たものを入れる。それをよく捏ねて混ぜ、これを板状に伸しておき、翌日、これを切り分けて焼いて食べる。
 本当にこれは美味しかった。焼いたものはとても香ばしく、味噌と大豆からの濃厚な旨みと熟した塩っぱみにざらめ糖の甘みがからまり、そこをクルミと胡麻からのペナペナとしたコクが包み込んで、たまらないほど美味かった。
 また、クルミを擂り鉢で擂りつぶし、それに赤砂糖と醤油と水を少し加えて味をととのえ、そのドロリとしたものを餅にかけて食べるのも見事なほど美味であった。
 今回は、すべて農家で昔から作られてきた菓子様の食べ物ばかりである。農家にはまだまだいっぱいのヒントが隠されていることを我が輩は知った。  

    

小泉武夫(こいずみ たけお)

東京農業大学名誉教授(農学博士)。 文筆家。NPO 法人発酵文化推進機 構理事長。昭和18 年、福島県の醸 造家に生まれる。専攻は醸造学、発 酵学、食文化論。世界中の民族の食 文化を調査し、多くの著作や講演、 テレビ出演などを通して、そのすばらしさ・楽しさを広く伝えている。 主著・近著に『酒の話』(講談社現 代新書)、『発酵』(中央公論社・中 公新書)、『くさい食べもの大全』(東 京堂出版)、『食のベストエッセイ集』 (IDP 出版)、『猟師の肉は腐らない』 (新潮社)など。1994 年から日本経 済新聞夕刊に掲載している「食あれば楽あり」でもおなじみ。

発酵博士のおやつ話(終) 料理菓子二題 小泉武夫

発酵あじわい菓子 小泉武夫

 沖縄県は、まことにもってイモ料理の発達したところである。なかでもサツマイモ料理は極めて多彩であり、おそらく我が国一のイモ料理文化を色濃く持っているといっても間違いはないであろう。なにせ今はサツマイモと呼んでいるイモも、元をたどれば琉球から薩摩に伝えられた根茎植物なのである。
 沖縄ではイモのことを「ンム」と言う。煮たイモは、ニーンム。沖縄独特の水イモである田芋は、ターンムである。代表的なイモはサツマイモで、皮が厚く、中は紫色で味はポクポクしていて実にうまい。ターンムも薄紫色をしていて、味も香りも素晴らしい。イモは繁栄につながるめでたい食べ物とされているから、特にハレの日の料理には欠かせないのである。

 最も一般的な料理は「ンムニー(ンム煮)」 である。「ドゥルワカシー」という料理は大変有名で、茹でたターンムの皮をむき、すり鉢でつぶす。次にムジ(ズイキ)をゆがいてから切ってターンムに加え、シイタケ、かまぼこ、豚肉のあられ切りを豚脂で炒めてから塩と醤油で味付けした具を混ぜる。これをとろ火で煮たものである。
 「ンムクジプットゥルー」は、水に溶いたサツマイモのでんぷんに味噌とおろし生姜、ニラを加えてから菜種油をひいた鍋で焦がすぐらいに焼いたもの。「ンムクジアンダギー」は、炊いてつぶしたサツマイモとサツマイモでんぷんを半々に混ぜ合わせてから手のひらで丸めて平らにし、油で揚げたものだ。「ターンムデンガク」はターンムを炊いて皮をむき、四角に切る。湯と一緒に鍋に入れ、白砂糖でトロリとするまで弱火で炊いたものである。
 これらの料理は、イモを茶請けとして食べるものがほとんどだから、一種の料理菓子のようなもので面白い。  

 中国の珍しいデザートに「三不粘」がある。現在の中国でも、北京の歴史ある料理屋だけしか作れない幻のデザートだという。卵黄に白砂糖を加え、緑豆の粉末を加え、油を張った鉄鍋の高熱の中で急速に何百回も叩くようにしてかき混ぜて作る。
 こうしてできた三不粘は強い表面張力を持っていて、皿の上に載せても皿に粘かずにゆらゆら揺れている。箸で取ろうとしても箸にも粘かないので、小ぶりのチリレンゲですくい取る。口に入れて噛んでも、歯にまったく粘かない。すなわち、皿に粘かず、箸に粘かず、歯にも粘かないので、三不粘の名がついたという。
 食べると何とも言えぬ芳香と快い甘みが口中に広がり、全体としてはゼリーではなく、求肥のようなものでもなく、強いて言えば、搗きたての柔らかい餅の歯ざわりだそうだ。口の中に入れた三不粘をそのまま噛み続けていると、いつの間にか、すっとのどを通っていってしまうという。
 この三不粘、名の知れた料理人でもすぐ真似ることができるような代物ではない。とかく中国には昔からこのように特殊技術を身につけている人が少なくない。米一粒の上に何百字という漢字を書いたり、仏像画を描いたり、さまざまな野菜を使って実に芸術的な食卓の飾り物を作ったり。とにかく、三不粘のことを知っただけでも、中国の食の深さがよくわかるというものである。
 一方、この三不粘のように女性的とでもいってよいような名菓とは逆に、とても男性的な菓子もあるのが、この国である。たとえば「焙羅梨」というものは、切った餅を蒸し上げ、それに小麦粉を混ぜて求肥のようにし、それを皮にして中に肉餡を包んでから天ぷらにして食べる大胆なものである。
 中国には、菓子に味噌や醤油、酢、?(納豆)、?酥(チーズ)、酸?(ヨーグルト)などの発酵食品を加えたものも少なくない。日本のお菓子屋さんも一度現地をまわって見てきて、参考にされるのもよいのではないだろうか。  

小泉武夫(こいずみ たけお)

東京農業大学名誉教授(農学博士)。 文筆家。NPO 法人発酵文化推進機 構理事長。昭和18 年、福島県の醸 造家に生まれる。専攻は醸造学、発 酵学、食文化論。世界中の民族の食 文化を調査し、多くの著作や講演、 テレビ出演などを通して、そのすばらしさ・楽しさを広く伝えている。 主著・近著に『酒の話』(講談社現 代新書)、『発酵』(中央公論社・中 公新書)、『くさい食べもの大全』(東 京堂出版)、『食のベストエッセイ集』 (IDP 出版)、『猟師の肉は腐らない』 (新潮社)など。1994 年から日本経 済新聞夕刊に掲載している「食あれば楽あり」でもおなじみ。

世界の菓子切手 村岡安廣(20)タイの伝統菓子 No.173

世界の菓子切手 村岡安廣(20)タイの伝統菓子

2003 年3月に、タイの首都・バンコクで開催された「国際切手展」を記念して作られた小型シート。郷土菓子が入った郷土料理の切手

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 わが国同様に伝統菓子を大切に残し、その存在感が大きなものとなっている国の一つにタイ王国があります。
「マジパン」は、粉末のアーモンドに砂糖と卵白を加え、様々な形にして色をつけて作る装飾菓子で、一般には西洋菓子の一種とされていますが、タイでは、この「マジパン」が伝統菓子として生き続け、タイ発祥を思わせるほどの雰囲気が感じられます。
 同様に、タイ発祥との説も伝えられる伝統菓子に「鶏卵素麺」があります。「フォイトーン=金色の糸」という名のタイの鶏卵素麺は、形状や食べ方はもちろん、水にさらさないといった製造手順も日本と同じです。かつてはタイの宮廷で食された高級菓子であったところも、日本の鶏卵素麺とよく似ています。
 インドなどではポルトガルと同じくクリスマス菓子の装飾をはじめとして、他の菓子の装飾の役割を演じます。マカオではイチゴの代わりに鶏卵素麺が用いられたショートケーキに出会いま した。
 タイでは日本のように単品の菓子として食され、限られた市場などで販売されていましたが、今ではタイの伝統菓子として多くの人々に愛好されています。
 マジパンや鶏卵素麺の切手は発行されていませんが、今回は彩りもあざやかな伝統料理切手の中にあらわれたタイの菓子切手を紹介いたします。

村岡安廣

お・い・し・い・エッセイ No.172 世界の菓子切手 村岡安廣 19

世界の菓子切手 村岡安廣(19)南アメリカ大陸の銘菓

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 南半球の国々は、菓子の世界では話題となることの少ない地域です。砂糖産出国であるオーストラリアやブラジル等の菓子の歴史があまり知られておらず、郵便切手にも紹介されていないことが登場の機会を少なくしているようです。
 近年は南アメリカ大陸の国々から意外な菓子が紹介されて、地域に根ざした菓子の状況が少しずつ明らかになってきています。
 南アメリカのパラグアイでは、2003年に3種の菓子切手が発行されました。描かれているのはピーナッツ、トウモロコシ、チーズを原料とした鮮やかな彩りの菓子で、それぞれに素材が生かされています。
 ペルーの菓子切手も3種。菓子は「リマ娘のため息」「ピカロネス」「マサモラ・モラダ」と独特の名称があり、わが国の伝統菓子の名称の発想に似た、いわゆる「銘菓」の趣きが感じられます。
 大航海時代、南アメリカ大陸はスペイン・ポルトガルの支配を受け、それぞれの食文化が残されました。
 ブラジルではマーマレードの語源である果実、マルメロの煉り菓子「マルメラーダ」がポルトガルより伝来し、伝統菓子として残されました。
 ポルトガル語の「マルメラーダの入った箱」すなわち「カイシャドマルメラーダ」を「加勢以多」と解釈した江戸時代の日本では、「加勢以多」が各地で作られ、熊本には「加勢以多」すなわち「マルメラーダ」が現在も伝えられています。
 地球の反対側にあるブラジルと日本には、今もなお大航海時代の伝統菓子が脈々と生き続けているのです。

村岡安廣