世界の菓子切手 村岡安廣 4 No.156

世界の菓子切手 村岡安廣(4)韓国の餅菓子

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 韓国の宮廷料理は、テレビドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」で一躍有名になりましたが、なかでも米を原料とした餅料理の水準の高さは特筆すべきものがあります。わが国では菓子の一つとされる餅も、韓国では料理の一つであり、キムチに次ぐ伝統的食文化として大切に守り伝えられてきました。
 近年、韓国では伝統文化をテーマとした切手が数多く発行されており、伝統食を主題とした韓国料理シリーズも平成13年から発行が始まりました。第1回のキムチに続いて第2回は餅が取り上げられ、4種の餅が伝統の器に盛られて登場しています。
 青磁の皿に盛られている白と緑の餅は「チョルピン」といい、花模様がかたどられています。通常、このような花模様や卍模様は木型が用いられますが、韓国では磁器の型があり、東アジアでは珍しい菓子型として知られています。
 磁器型の歴史は百年とも千年ともいわれ、明確な資料は少ないのですが、わが国ではこの磁器型を茶道の蓋置きとして使用する慣わしがあります。形状、大きさが蓋置きとして適度なため、茶道具の一つとして使われてきたのです。菓子作りの道具がこうした形で珍重される稀有な例だといえるでしょう。
 きな粉がまぶしてある餅は「インジョン」といい、チョルピンと同様に結婚式など祝いの席に出されます。
 小豆をふんだんに用いて餅とサンドイッチ状に仕上げた「シルットク」は、祝いや祈願の折に用いられてきました。古くは五穀豊穣を祈り、現在では転居の際に新居の安全を祈って供えられています。わが国では高麗渡りの菓子とされ、京都や名古屋で製造されている「村雨」や、鹿児島の「高麗餅(これもち)」の原型が、このシルットクであるといわれています。
 「ソンピョン」は、うるち米に胡麻や小豆、栗などを混ぜ、松の葉の上で蒸して作る餡入り餅です。松の葉を使うことから“松片(ソンピョン)”の名が生まれました。旧暦の8月15日の秋夕(しゅうせき)の日は、このソンピョンが盛んに作られ、一般家庭でもそれぞれ独特の味を競って作ります。なお、旧暦8月 15日が中秋の名月に近いことから、わが国では中国の月餅ではなく、このソンピョンの影響を受けて月見団子が供されるという説もあります。うるち米の餅菓子は朝鮮半島文化の影響が濃いといわれる宮崎県、佐賀県に、今もなお伝統菓子として残されています。

村岡安廣

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チョルピン   インジョン
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シルットク   ソンピョン

世界の菓子切手 村岡安廣 3 No.155

世界の菓子切手 村岡安廣(3)チョコレート

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 セント・バレンタインデーの贈り物の定番となっているチョコレートは、もともと飲料として始まりました。
 1528年、アステカ帝国を滅ぼしたスペイン人エルナン・コルテスの遠征隊は、本国にアステカ人のいうショコアート(にがい水の意味)、チョコレートを持ち帰ったといわれます。そして欧州で熱狂的に迎えられました。
 1820年代にオランダのバンホーテンが粉末チョコレート、すなわちココアの製法特許をとりました。1847年にはイギリス西部の港町ブリストルのフライ社が、カカオにココアバターと砂糖を加えて「食べられるチョコレート」固形のチョコレートを作り上げ、さらに1875年にはスイス人のダニエル・ペーターがネスレ社アンリ・ネスレ作製の粉ミルクを混ぜて「ミルク・チョコレート」を完成、ほぼ今日のチョコレートの原型ができ上がりました。
 このチョコレート切手は、2001年にスイスのチョコレート事業組合100周年を記念して発行されたものです。チョコレートそのものが十二分に表現されたデザインに加えて、匂いもついており、この切手を貼った封筒を受け取った時は、いささか驚きました。数年前に切手雑誌に大きく紹介して以来、わが国では人気の切手となり、入手難となっています。

村岡安廣

創刊40周年記念エッセイ:日本文化の中のお菓子 熊倉功夫 No.160

創刊40周年記念エッセイ:日本文化の中のお菓子 熊倉功夫

イメージ お菓子はおいしくて美しい。そればかりか、お菓子には心を豊かにする楽しさがあります。この小さなかたちの中に、日本の文化が凝縮されているように思えます。日本の菓子の祖とされる田道間守の伝説は、二つのことを伝えています。
 田道間守が常世の国から持ち帰った非時香菓は、垂仁天皇の不老不死の願いをかなえるはずでした。非時香菓とはタチバナの実ということになっていますが、そこから菓子のもとは果物だったことがわかります。自然の恵みである果物は、古代以来、貴重な甘みでした。
 もう一点は、菓子には、不老不死という元気で長生きしたいという、人間すべての願いが込められていることです。菓子はおいしいから食べるだけではありません。幸福を招き、身辺に近寄る災いを攘ってほしい、すなわち招福攘災を願って食べる特別な食べものです。

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イメージ 桃の節句といえば、草餅の中につきこまれた蓬の香りが嬉しいものです。端午の節句の菖蒲、重陽の節句の菊と並んで、その強烈な香りに、われわれの体に悪さをする魑魅魍魎を追い払う力があると昔の人は信じていました。この時とばかり、草餅を食べて新しい季節を迎えます。
 節句だけではなくて、季節の変わり目は、体力、気力が衰えます。失われる元気を補うのが菓子の役目です。
 「水無月」という菓子が京都にあります。氷を象徴して三角形に切られた白外郎の上に小豆をのせた素朴な菓子ですが、水無月(六月)一日を、古く「氷の朔日」といいましたように、これから迎える夏の暑さに負けぬよう氷を食べる習慣が宮中にはありました。京都の庶民は六月になると氷のかわりに菓子の水無月を食べて、息災を願うことにしています。
 日本人は四季の変化を何より楽しみにしてきました。ひと足早く季節を招き入れ、菓子の趣向に仕立てます。そこには日本人の初物好きの心理もうかがえましょう。初物には生まれたての新しい魂(新玉)が宿っていますから、これを食べると七十五日長生きできると昔の人はいいました。

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 日本の菓子のすばらしさは、全国各地に、郷土の香り豊かな菓子がひっそりと作り続けられているところにあります。それを土産として頂戴したり、私自身も買い求めたりします。土産という習慣は菓子に限ることではありませんが、その土地の風情を運んできますから、とてもゆかしく感じられます。
 さらに申しますと、その土産の菓子には、それを作った土地の産土神の霊力がこもっているのです。土地の守り神である産土神の力によって産み出された産物を土産としていただくのです。
 いわば小さな菓子は、古い古い日本文化の根っこにつながっています。

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イメージ さて、日本の歴史は外来文化受容の歴史ともいえるくらい大陸や半島、さらに南方の島伝いに外来文化が流入し、近世以降はヨーロッパ、近代にはアメリカの文化まで加わって、受け入れ、また捨てられ、変容して今日の日本文化ができあがりました。菓子の歴史もまた外来文化受容の歴史といえます。
 チベットで食べた揚げ菓子は、まるで日本の神饌の菓子のようでした。ちまきの伝統は、中国雲南から日本まで照葉樹林帯に分布します。十六世紀に西洋人が日本に来て、砂糖や鶏卵を使う南蛮菓子が始まります。近代の欧米文化の受容の中で、日本の菓子の世界は一段と広がりを見せます。
 こうして考えてみますと、日本人の自然観や信仰、美意識や感性、さらに文化の歴史的特質が、すべて菓子の中に凝縮していることがわかります。

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絵 / 松下長子

熊倉功夫(くまくら いさお)

国立民族学博物館名誉教授。林原美術館館長。専門は日本文化史、茶道史。東京教育大学文学部博士課程退学後、京都大学人文科学研究所講師、筑波大学教授、国立民族学博物館教授等を経て現職。近著に『日本料理文化史』(人文書院)、『文化としてのマナー』(岩波書店)、『近代数奇者の茶の湯』(河原書店)、『茶の湯の歴史―千利休まで―』(朝日新聞社)、近編著書に『遊芸文化と伝統』(吉川弘文館)、『井伊直弼の茶の湯』(国書刊行会)ほか多数。

安西水丸さんの『あじわい』表紙イラストレーションができるまで No.181

創刊45周年記念特集 安西水丸さんの『あじわい』表紙イラストレーションができるまで

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 平成11年(1999)から『あじわい』の表紙は、安西水丸さんのイラストレーションが飾っています。
インパクトがあって、独創的。「でも、どうやって描いているの?」と、よく聞かれます。
今回、特別にお願いして制作の様子を見せていただきました。

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完成。『あじわい』の表紙の仕事は、僕にぴったりの仕事だと思います。
いつも、おいしそうでしょ。今回も、カンペキです!

「菓子のある風景」スペシャル お菓子三十六景 磯辺 勝 No.161

「菓子のある風景」スペシャル お菓子三十六景 磯辺 勝

菓子を描き伝える

 北斎の「冨嶽三十六景」にたとえては恐れ多いが、「菓子のある風景」も連載36回を数えた。分野にこだわらず、できるだけ著名な画家の作品を、ということで選んできたが、あらためて内訳を振り返ってみると、やはり童画家の絵、ないしは童画風の作品が多く、全体の3分の1近くを占めている。その第1号が、武井武雄の「猫と鼠」だった。
 武井武雄はたいへんなお菓子好きだったようである。全国の銘菓を食べるのが楽しみで、旅のみやげに買ったり贈りものにもらったりすると、いちいちお菓子とパッケージをスケッチした。スケッチを見せてもらったことがあったが、写実的にざっと描いて彩色したもので、あとで武井武雄風に美しく仕上げるための手控えのように見えた。それにしても、あれだけ忙しかった画家が覚え描きの手間を惜しまなかったのは、よほどのことである。
 このスケッチは、戦後の菓子資料の一つとして貴重なものではないかと思う。

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猫と鼠/武井武雄(第2回)

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おかしの運動会/横井弘三(第23回)
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おかざりお菓子/村山知義(第21回)

噴き出す画家の魂

 武井武雄のあと、童画風の絵としては竹久夢二、茂田井武、いわさきちひろ、村山知義、川上澄生、横井弘三、初山滋、亀高文子、谷内六郎らが登場した。
 絵の勉強を始めるとき、将来童画を描こうと考える画家はまずいない。生活のためにアルバイトで手を染めるのだが、いつしか居心地がよくなったり、天職と考える人も出てくるのである。だが、忘れてはならないのは、どういう絵を描いていても、よい画家は画家の魂をもっていることだ。
 動物たちが宵祭りのにぎわいを繰り広げる茂田井武の「こんやはよみや」、小笠原諸島へのスケッチ旅行で見た砂糖搾り用の万力を、真ん中にデンと据えた横井弘三の「おかしの運動会」などは、数ある童画のなかでも、なにか画家の魂が噴き出しているような傑作であった。
 戦前の前衛芸術家として知られた村山知義の子ども向けの絵も、今もってモダンな魅力を持ち続けている。
 その村山の絵について書いた時、子どもたちが楽隊つきで運ぶ巨大なケーキを、「ドイツででも目にしたものだろうか」と書いた。だが、その後、どうもこれはイタリアのズコットというケーキらしいということがわかってきた。ズコットとは「聖職者のかぶり物」という意味だそうだが、村山のケーキはまさにそういう形をしている。訂正してお詫び。

大家たちの隠れた一面

 洋画家の作品も9点と多い。安井曾太郎が最初で、清水登之、中村不折、中川紀元、藤田嗣治、岸田劉生、香月泰男、熊谷守一、猪熊弦一郎と大家ぞろいで、堂々たる顔ぶれだ。
 これらの画家の得意の画題を思い浮かべて、まずお菓子は浮かんでこない。とりわけ猪熊弦一郎などは抽象絵画に近い画風である。
 安井曾太郎の柚子饅頭、中川紀元のロールケーキ、香月泰男のビスケット、熊谷守一の伸餅、猪熊弦一郎のバナナ、いずれも、この画家がこういうものを描いているのかと驚くような作品に次々に出会うことができた。
 つまり、「菓子のある風景」という視点から見たからこそ、洋画家たちの隠れた一面が見えてきたのである。
 安井曾太郎の「饅頭」は、雑誌の表紙絵であったために、制作のいきさつまで画家自身によって書き残されている。料亭のみやげでもらってきた柚子饅頭を描くにあたり、夫人が「緋毛氈の上に置くと綺麗でしょ」と言ったということなど、そのときの夫人の顔つきまで浮かんでくるようで、思わず微笑をさそわれる逸話だ。
 画家が静物画を描くとき、同じ果物を描くのでも、おいしそうに、いかにも食べられそうに描く画家と、そうでない画家がいるような気がする。岸田劉生は、私の感覚では食べられそうに描く画家だ。その意味で、劉生の「いちご」は「菓子のある風景」にぴったりだったと思う。
 藤田嗣治の「誕生日」が、国内の美術館にあったのも、幸運だった。藤田といえば女と猫で、なぜ子どもの絵が多いのか、ということなど考えてもみなかった。筆者は、それが、藤田がパリの昔話の挿絵を依頼されたことに始まる、ということを初めて知った。

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顔/猪熊源一郎(第34回)
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饅頭/安井曾太郎(第7回)

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ビスケット/香月泰男(第27回)
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静物/中川紀元(第16回)

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伸餅/熊谷守一(第28回)

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誕生日/レオナール・フジタ:藤田嗣治(第17回)

季節感のなつかしい絵

 近代の日本画の大家の登場は、柴田是真を入れても、守屋多々志、鏑木清方、堀文子、望月春江と、洋画に比べると少なかった。ただ、少ない割に印象が強いのは、伝統的に季節感が豊かであるという点で、日本画が際立っているからであろう。
 鏑木清方の清々しい美人がかき氷をつくる「氷店」、望月春江の朱塗りの盆の上に干し柿がのる「冬日」のような絵には、洋画にはない、日本画ならではの季節のなつかしさがあった。
 著名な日本画家の作品には、まだお菓子を描いた絵が数多くある。今後、追々登場することになりそうだ。
 「菓子のある風景」の連載第1回は、一筆斎文調の「かぎやおせん」である。かねて惚れ込んでいたために、この絵を用いたが、浮世絵はできるだけ絞ってというのが初めからの方針であった。安易に多用すると、浮世絵資料の連載のような印象になりかねないからである。その意味では厳選して、広重を2回と三代豊国を1度扱った。
 浮世絵では、広重の「太平喜餅酒多多買」が、遊び絵として出色であった。この画家の名所絵などとはかけ離れた作風で、画面にいたずら心がはじけている。花や魚の絵もうまかった広重。一つの芸しかできないようでは、一流の浮世絵師にはなれなかったということか。
 たまには浮世絵系以外の江戸時代の絵を、ということで取り上げたもののなかでは、円山応挙の「四季遊戯図」は忘れがたい作品の一つになった。四条河原の夕涼みを描いた絵だが、そこではたしかに現代とは別の雰囲気が人間を包んでおり、そのなかに飴屋もいる。
 さて、最後に変わり種にふれて締めくくることにしよう。正岡子規。病人にして、偉大な駄々っ子。この天才が菓子パンを描いてくれていたおかげで、明治のパン屋さんが太鼓を叩いて売り歩いていたということを知り、書くことができた。

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四季遊戯図/円山応挙(第30回)

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かぎやおせん/一筆斎文調(第1回)
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明治風俗十二ヶ月
氷店(八月)/鏑木清方(第6回)

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菓子パン/正岡子規(第10回)
「菓子のある風景」で紹介してきた作品

作品名 作家名
1 かぎやおせん 一筆斎文調
2 猫と鼠 武井武雄
3 対柳居画譜 柴田是真
4 チョコレートとお茶のフランス商会 スランタン
5 世安町の駄菓子屋 守屋多々志
6 明治風俗十二ヶ月氷店(八月) 鏑木清方
7 饅頭 安井曾太郎
8 ちいさいおきゃくさま 竹久夢二
9 櫻餅 堀 文子
10 菓子パン 正岡子規
11 チャイルド洋食店 清水登之
12 巴里の焼栗 中村不折
13 えっ、木の葉に見えちゃう? 馬場のぼる
14 十二月ノ内 水無月土用干 三代歌川豊国
15 こんやはよみや 茂田井 武
16 静物 中川紀元
17 誕生日 レオナール・フジタ(藤田嗣治)
18 レニングラードアイスクリームや いわさきちひろ
19 スケッチ帖より 坪内節太郎
20 冬日 望月春江
21 おかざりお菓子 村山知義
22 赤いアイスクリーム ハンス・ノイマン
23 おかしの運動会 横井弘三
24 柏崎三階節 川上澄生
25 太平喜餅酒多多買 歌川広重
26 いちご 菜果五題の内 岸田劉生
27 ビスケット 香月泰男
28 伸餅 熊谷守一
29 赤ずきん 不詳
30 四季遊戯図 円山応挙
31 くりやき 初山滋
32 びくにはし雪中 歌川広重
33 青い鳥 亀高文子
34 猪熊弦一郎
35 遊楽図屏風 作者不詳
36 ポップコーン咲いちゃったよ 谷内六郎

磯辺 勝(いそべ まさる)

エッセイスト、俳人。1944年、福島県生まれ。美術雑誌『求美』、読売新聞出版局などの編集者を経てフリーランスに。著書に『NHK世界美術館紀行』全10巻(共同執筆,日本放送出版協会,2005)、『描かれた食卓』(NHK生活人新書,2007)、『江戸俳画紀行』(中公新書,2008)。『あじわい』誌での連載「菓子のある風景」は、版形もあらたにリニューアルした1999年の春号(124号)から始まった。

世界の菓子切手 村岡安廣 1 No.153

世界の菓子切手 村岡安廣(1)国の餅菓子

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 鶏卵素麺は、17世紀後半の発刊とされる『南蛮料理書』にも登場する「たまごそうめん」のことで、江戸時代に全国各地に広まりました。タイやメキシコ、中国のマカオなど、世界中で今も作られています。
 我が国では博多名産のお菓子となっていますが、本場ポルトガルでは単体でなく、ケーキの飾りなどに用いられています。製法は、日本、ポルトガルともに大航海時代そのままの素朴な手作り。エスプレッソコーヒーと、この濃厚な甘みの取り合わせが愛好されています。
 切手は1999年、ポルトガル発行「修道院の菓子シリーズ」の中の名作です。狩野派作の「南蛮屏風絵」の金彩色の文物と同様の?黄金?のイメージの豪華さがあふれています。
 「修道院の菓子シリーズ」切手は、全部で12種が発行されました。ポルトガルの伝統文化である菓子のパワーがダイナミックに表現され、世界中に伝えられています。

文/村岡 安廣

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マップ   ポルトガルの切手「修道院の菓子シリーズ」にはほかにもこんな楽しい切手がある。

世界の菓子切手 村岡安廣 2 No.154

世界の菓子切手 村岡安廣(2)エッグタルト

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 平成18年7月、全国銘菓の研修旅行として江後迪子先生(元別府大学短期大学部教授)を中心としたメンバー21名がポルトガルを訪問し、マデイラ島まで菓子の探訪を行いました。このポルトガルの首都リスボンの伝統菓子「パスティス・デ・ナタ」が、中国におけるポルトガルの植民地であったマカオの切手に登場しています。
 1999年にマカオで発行された「美食と菓子」シリーズ第1集の4種連刷切手の左から2番目の切手に描かれているのがそれで、日本では「エッグタルト」の名で呼ばれ、彼の地ではカフェの定番となっています。
 なお、この4種連刷切手の右端の切手には、「馬拉カオ(まーらーかお)」として知られる蒸しカステラが中央部分にあります。
 また、同シリーズ第2集には、日本の「おこし」に似た「薩騎馬(さーちーま)」と呼ばれる菓子も登場します。中国東北地方の伝統菓子で、小麦文化圏の中国東北部には珍しい米菓子です。

マカオの菓子切手いろいろ
マカオは16世紀にポルトガルの植民地となってから、西欧と東アジア、とりわけ中国との食文化の交流の地となってきました。「美食と菓子シリーズ」と題された切手にも、さまざまな菓子が登場しています。

村岡安廣

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右下は、日本の“おこし”に似た「薩騎馬(さーちーま)」という菓子
テーブルいっぱいに点心が並んでいる華やかな絵柄の切手シート。切手部分を切り取って使うのが惜しくなるほど  
   
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「杏仁(しんれん)月餅」と見られる菓子と原材料が描かれている
 

世界の菓子切手 村岡安廣 11 No.163

世界の菓子切手 村岡安廣(11)キャラメルと鯛焼きと和菓子

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昭和50年の大ヒット曲「およげ!たいやきくん」の意匠の切手。この絵柄が描かれたレコードが450万枚以上をセールスした(日本におけるシングル盤の売上げ1位)。   森永ミルクキャラメルが「黄色い箱」入りになったのは大正3年の大正博覧会での販売がきっかけ。爆発的な人気に、すぐに市販が決まり、大ブームを引き起こした。

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第20回全国菓子大博覧会記念切手。
この菓子博は、昭和59年2月24日から3月12日まで明治神宮外苑絵画館前で開催された。

 平成11年9月22日、20世紀デザイン切手シリーズ第2集に「ミルクキャラメル発売」切手が登場しました。これは大正初年、森永製菓がわが国で初めてミルクキャラメルを発売したことを記念し、20世紀の大きな出来事の一つとして取り上げたものです。
 森永製菓の創業者・森永太一郎は佐賀県伊万里の陶磁器商の家に生まれ、米国にも2度渡り、家業を再興しようとするも叶わず、ベーカリー修業の後、明治32年8月、東京赤坂で菓子屋を開業しました。エンゼルマークと黄色いキャラメルボックスは、陶磁器デザインの優れたセンスに由来するとされています。
 ちなみに平成19年8月6日から日本経済新聞で連載が始まった『望郷の道』は、新高製菓一六軒創業者・森平太郎をモデルとした小説で、作者の北方謙三氏は曽孫にあたります。森永太一郎、森平太郎、そしてグリコの創業者江崎利一がいずれも佐賀県出身で、戦前の4大菓子メーカー(明治、森永、グリコ、新高)のうち3メーカーの創業者が同県出身であったため、佐賀は「キャラメル王国」とも呼ばれていました。
 なお、前述の20世紀デザイン切手シリーズでは第15集で「およげ! たいやきくん」の意匠が登場し、昭和59年2月24日発行の「第20回全国菓子大博覧会記念」切手には「和菓子と茶せん」が描かれていますが、日本では他に菓子切手といえるものはほとんど見あたりません。
 世界中で続々と菓子切手が発行されている中、日本では食をテーマとした切手自体も少数で、今後が期待される分野の一つとなっています。

村岡安廣

世界の菓子切手 村岡安廣 13 No.165

世界の菓子切手 村岡安廣(13)和菓子のふるさと(中国)

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稲作発祥と見られる河姆渡遺跡。日本の稲作もここが源流と考えられる。

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北宋(960−1127)の都のにぎわいを描き、中国最高の傑作図巻と言われる「清明上河図」は、
北京故宮博物院に所蔵されている。

 日本と同じく、菓子の切手がほとんど発行されない国が中国です。和菓子の由来の大半は中国にあると言われるほどの菓子大国ですが、菓子が切手に取り上げられる機会は少なく、ほとんど見当たりません。
 そんな中国の郵便切手のなかで、今回は菓子の原料となる米の、世界最古の栽培例が出土した「河姆渡遺跡」の切手と、さまざまな食文化が起ったとされる北宋時代の都・開封の春の情景が描かれた「清明上河図」の切手を紹介します。
 1996年、河姆渡遺跡の切手が発行されました。7千年〜5千年前に長江流域に優れた文明があったことを示す大量の出土品から、稲作農業に用いられた道具の二十分*切手、木造建築の五十分切手、木の櫂の百分切手、鳥と太陽の文様の器の二百三十分切手の4種を紹介したもの
です。
 また、清明上河図の切手は、2004年に小型シートの形で発行されました。首都としての活気にあふれる街の賑わいと、大河に船が浮かび、大勢の人々が岸辺や橋を行き交うありさまがダイナミックに描かれています。
 砂糖などの貴重な食糧は、当時からこのような大きな船で運送されました。饅頭や餅など、この時代を中心に日本に伝わったとされる和菓子の原点は、ここにあったのです。

*「分」は中国の貨幣単位で、100分が1元にあたります(100分=10角=1元)。現在、分はほとんど流通しなくなりましたが、この切手の発行当時は経済成長が現在ほどではなかったため、元単位でなく分単位で額面表示がなされていました。

村岡安廣

世界の菓子切手 村岡安廣 15 No.167

世界の菓子切手 村岡安廣(15)ニュージーランドのクリスマスケーキ

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 欧米では、クリスマス・シーズンに数多くの菓子が作られます。日本にも伝わった南蛮菓子の「鶏卵素麺」は、ポルトガルではクリスマスケーキの飾りとして大切な役割を演じています。
 南半球に位置するニュージーランドは、かつてイギリス領であり、現在もイギリス連邦王国の一国であることからイギリス風のクリスマスケーキが供されています。しかし、ニュージーランドのクリスマスは夏。クリスマス切手の趣きもいささか異なるようです。
 1993年、ディッケンズの『クリスマス・キャロル』で有名になったクリスマス・プディングを描いた切手が登場しました。
 クリスマス・プディングは小麦粉やドライフルーツ、牛脂、卵、ピールなどを混ぜ合わせ、型に流して蒸し上げたあと熟成させて作る菓子です。イギリスの伝統的なクリスマスケーキで、魔よけの力があるという赤い実をつけたヒイラギの葉をのせるのが決まりとなっています。
 2004年には、タルトの上にフルーツをのせたケーキや生クリームをかけて雪を思わせる装飾をしたケーキを描いた切手が登場しました。夏のクリスマスを祝う菓子ですが、冬を連想させるイメージをほどこしているのが目を引きます。
 イギリスからは地球の裏側にあたるニュージーランド、遠隔の地で、フロンティア(新開地)であるこの国では、イギリス本国の長い伝統や歴史を重んじる傾向が強いことから、イギリスの伝統様式をそのまま取り入れたクリスマスが行われています。

村岡安廣