世界の菓子切手 村岡安廣 16 No.168

世界の菓子切手 村岡安廣(16)ポルトガル伝統のパン

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大きなシート切手は、とうもろこしのパンとさつまいものパンの写真。そのほか小麦のパンやライ麦のパン、ソーセージ入りのパンや形の変わったパンなど、地方によって特色のある8つのパンが紹介されています。

 南蛮菓子のふるさとポルトガル。わが国で17世紀に著された『南蛮料理書』には、「はん」としてパンの製法が紹介されています。また、ポルトガルにはカステラの原型といわれている菓子があり「パン・デ・ロー」と称されています。この名前は、ローマカソリックの総本山があるイタリアの丸い「パン」と、ふわふわとした感触の東洋の絹織物の「ろ(絽)」という言葉を組み合わせたものといわれており、海洋帝国ポルトガルの威光が示されています。 
 近年の資料では、日本で夏季に着用する絹織物の着物の「絽」は中国語の「羅」の訳語であると記されています。この説をとれば、パン・デ・ローの「ロー」は日本語で、ポルトガル伝統の菓子名の中に日本が存在しているということになります。

 ポルトガルで1999年と2000年に発行された菓子切手シリーズ(連載の第1回/『あじわい153号』で紹介しました)から10年後となる2009年、パンの切手が登場しました。いずれも小麦のグルテンの粘りが伝わってくる独特のおいしさを持つポルトガル伝統のパンが、写真の力でさらに魅力を増しています。
 ポルトガルのさまざまな地方の、それぞれ自慢の「パン」比べが、ここに登場しました。

村岡安廣

世界の菓子切手 村岡安廣 17 No.170

世界の菓子切手 村岡安廣(17)カカオ産地のチョコレート(ガーナ共和国)

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板チョコいろいろ。包装紙のデザインにも
アフリカのお国柄が出ている
ココアとチョコレートスプレッド

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玉状のチョコレートは世界中どこでも人気

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カカオ製品いろいろ カカオの加工プラントで働く従業員。ガーナは良質のカカオの産地。加工品が日本にもたくさん輸入されている

 「2010 FIFAワールドカップ」南アフリカ大会ではアフリカのパワーが見直され、ようやくアフリカにも光が当たり始めました。1957年にブラック・アフリカ初の独立を果たし、「黒のブーム」のきっかけをつくったガーナ共和国は、チョコレートの原料となるカカオの産地としても知られています*。
 そのガーナから、2007年、独立50周年の年に、本格的なチョコレートの切手が発行されました。
 5種の切手には、チョコレートに関わる様々なものが描かれています。
 まず、飲料であるココアと、チョコレートスプレッド(チョコレートペースト)。飲料としてのチョコレートすなわちココアは、オランダに始まるといわれます。
 次に、玉状のチョコレート。固形のチョコレートはイギリス・キャドバリー社が創始とされます。
 さらにバラエティー豊かなチョコレートが続きます。ミルクチョコレートはスイス発祥とされますが、現在では最も基準の厳しいベルギーに製造の中心が移っており、首都ブリュッセルには5〜6店の王室御用達のチョコレート専門店が存在しています。
 そして、チョコレート工場で働く人たちの様子を描いたものと、たくさんのカカオ製品の絵柄も。
 チョコレートの切手が、ガーナにチョコレート産業がしっかりと根づいていることを伝えてくれています。

*ガーナ共和国は国連食糧農業機関(FAO)の2008年の統計ではコートジボワール、インドネシアに続いて世界第3位のカカオの生産量を誇っています。

村岡安廣

世界の菓子切手 村岡安廣 18 No.171

世界の菓子切手 村岡安廣(18)「長崎街道」は砂糖の道

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 おかげ様で全国銘産菓子工業協同組合は昨年(平成22年)めでたく60周年を迎えることができました。
 昭和25年11月10日、東京・日本橋三越本店において全国銘菓展が開催されました。その折の、お客様の熱狂的な反響に刺激された福岡の百貨店の食品担当部長の発案により、九州銘菓展が企画され、併せて九州銘菓協会が発足しました。今年は九州銘菓協会発足60年の記念すべき年にあたります。
 折しも北部九州の近世の主要道であった長崎街道が砂糖街道(シュガーロード)として脚光を浴びています。近世の世界への窓であった長崎は6万人の人口のうち1万人が中国人で、多くの菓子技術や砂糖が伝来しました。将軍家への献上砂糖もこの地域の島原藩、佐賀藩、小城藩、蓮池藩、福岡藩、杵築藩等が全体の9割を占め、九州はまさにシュガーアイランドであり、菓子王国でもあったのです。
 平成10年に発行されたふるさと切手「長崎街道」には、街道の出発点であった長崎出島の図や小倉城、そして途中の佐賀藩が開発した蒸気機関車や宿場であった鳥栖の現代の高速道路等が示されています。
 地図は伊能忠敬が制作したもので、近世の長崎街道諸藩には多くの中国菓子、南蛮菓子の記録があり、今もなお菓子の伝統が生き続けています。

村岡安廣

画家が描いた「銘菓」-「武井武雄『日本郷土菓子図譜』」より- No.209

菓子袋

『コドモノクニ』や『キンダーブック』で大活躍した童画家の武井武雄は、昭和11年から22年間、日本各地の郷土菓子を丹念に記録し、3 冊の私家本『日本郷土菓子図譜』に残しました。
その中には、全国銘菓の加盟店が作り続けている菓子の数々も描かれていました。

 まずは、水彩でスケッチされたお菓子の数々をご覧ください。餅菓子、羊羹、煎餅……。美味しそうでしょう?ここにご紹介したスケッチは、童画家の武井武雄の『日本郷土菓子図譜』(イルフ童画館蔵)から、全国銘菓加盟店のお菓子が掲載されたページを抜き出したものです。

 武井武雄は、大正後期から昭和にかけて活躍した童画家です。明治27年(1894)に現在の長野県岡谷市に生まれ、東京美術学校では黒田清輝や藤島武二に西洋画を学びました。そして、卒業まもなくから児童雑誌に絵を描き始め、大正11年(1922)に『コドモノクニ』 が創刊すると、表紙絵とタイトルロゴを担当。モダンでファンタジックな武井の絵は、子どもばかりか大人をも魅了していきました。
 その武井が『日本郷土菓子図譜』を作り始めたのは、昭和11年(1936)の夏のこと。和紙を綴じて本の形にし、そこに日本中の郷土菓子を記録し ていったのです。
 まず見開き2ページに包装紙や商標ラベル、しおりなどを貼り、次の見開きにお菓子の姿を水彩画でリアルに描くのが基本のスタイルです。絵の余白には、材料や製法、由来、さらに味の感想や入手した日付、お菓子を送ってくれた人の名前も記しました。

 この記録は、戦時中の中断期をはさんで22年間も続きました。全3巻、各巻200 ページほどの図譜には、全部で169 点のお菓子が紹介されています。
 表紙の装丁にまでこだわり抜いた、世界に1つだけの私家本『日本郷土菓子図譜』。武井は、なぜこのような本を作ったのでしょう。激動の時代に、郷土菓子の行く末を案じていたからでしょうか。
 描かれたお菓子の多くが、今も作られ、愛されている奇跡を、美しいスケッチを愛でながら喜びたいと思います。

武井ワールドを存分に楽しめる美術館。
武井武雄が描いた童画や版画作品を展示しており、出版物となった作品を鑑賞できる部屋なども設けられています。『日本郷土菓子図譜』は企画展などでのみ公開。
ミュージアムショップや、ゆったりくつろげるカフェも併設。

住所:長野県岡谷市中央町2-2-1
● 開館:10 時〜19 時
● 休館:水曜(祝日は開館)、年末年始
● 入館料:一般510 円ほか
● 0266( 24 )3319
http://ilf.jp

● 写真提供:新潮社、撮影:青木登(新潮社写真部)

世界の菓子切手 村岡安廣 21 No.174

世界の菓子切手 村岡安廣(21)東アジアの銘菓「エッグタルト」

2010年11月5日マカオ発行のマカオフードフェスティバル10周年記念切手5種の内「エッグタルト」を題材とした4パタカ切手。

マカオより2003年6月18日発行の「文物保護」をテーマとした切手「フランシスコ ザビエル教会」。エッグタルトの名店はこの入口前に始まり、東アジアの銘菓となった。

 江戸時代、南蛮菓子は日本中に広まり、砂糖菓子への関心が大いに高まりました。
 長崎を中心として伝えられた南蛮菓子は、直接ポルトガルやスペインからではなく、中国の人々によってその技術がもたらされたと言われています。
 その中国におけるポルトガル文化の中心地がマカオ。ポルトガルの植民地で1999年に中国へ返還されましたが、ポルトガルの食文化、とりわけ菓子の文化が今も強く根づいています。
 昨年11月にはマカオ・フードフェスティバル10周年を記念して5種の切手が発行され、その中に再びエッグタルトが登場しました*。
 マカオにあるコロアネ島の教会は、長らくフランシスコ・ザビエルの右腕の遺骨が安置されていたことで知られていますが、この教会そばの菓子店がエッグタルトの専門店として名声を誇っていて、今では中国周辺の東アジアの銘菓となっています。
 今回発行された切手には菓子の技術者も描かれ、エッグタルトを本格的に紹介する、すばらしい表現がなされています。
 なお、ポルトガルでは、首都リスボン最大の修道院であるジェロニモス修道院を中心としたべレム地区の銘菓が、エッグタルト=パスティス・デ・ベレム=パスティス・デ・ナタです。この地区のカフェの名店では千夜一夜物語のアラビアの王宮の雰囲気の中でコーヒーとエッグタルトが楽しめます。

村岡安廣

世界の菓子切手 村岡安廣 19 No.172

世界の菓子切手 村岡安廣(19)南アメリカ大陸の銘菓

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 南半球の国々は、菓子の世界では話題となることの少ない地域です。砂糖産出国であるオーストラリアやブラジル等の菓子の歴史があまり知られておらず、郵便切手にも紹介されていないことが登場の機会を少なくしているようです。
 近年は南アメリカ大陸の国々から意外な菓子が紹介されて、地域に根ざした菓子の状況が少しずつ明らかになってきています。
 南アメリカのパラグアイでは、2003年に3種の菓子切手が発行されました。描かれているのはピーナッツ、トウモロコシ、チーズを原料とした鮮やかな彩りの菓子で、それぞれに素材が生かされています。
 ペルーの菓子切手も3種。菓子は「リマ娘のため息」「ピカロネス」「マサモラ・モラダ」と独特の名称があり、わが国の伝統菓子の名称の発想に似た、いわゆる「銘菓」の趣きが感じられます。
 大航海時代、南アメリカ大陸はスペイン・ポルトガルの支配を受け、それぞれの食文化が残されました。
 ブラジルではマーマレードの語源である果実、マルメロの煉り菓子「マルメラーダ」がポルトガルより伝来し、伝統菓子として残されました。
 ポルトガル語の「マルメラーダの入った箱」すなわち「カイシャドマルメラーダ」を「加勢以多」と解釈した江戸時代の日本では、「加勢以多」が各地で作られ、熊本には「加勢以多」すなわち「マルメラーダ」が現在も伝えられています。
 地球の反対側にあるブラジルと日本には、今もなお大航海時代の伝統菓子が脈々と生き続けているのです。

村岡安廣

世界の菓子切手 村岡安廣 20 No.173

世界の菓子切手 村岡安廣(20)タイの伝統菓子

2003 年3月に、タイの首都・バンコクで開催された「国際切手展」を記念して作られた小型シート。郷土菓子が入った郷土料理の切手

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 わが国同様に伝統菓子を大切に残し、その存在感が大きなものとなっている国の一つにタイ王国があります。
「マジパン」は、粉末のアーモンドに砂糖と卵白を加え、様々な形にして色をつけて作る装飾菓子で、一般には西洋菓子の一種とされていますが、タイでは、この「マジパン」が伝統菓子として生き続け、タイ発祥を思わせるほどの雰囲気が感じられます。
 同様に、タイ発祥との説も伝えられる伝統菓子に「鶏卵素麺」があります。「フォイトーン=金色の糸」という名のタイの鶏卵素麺は、形状や食べ方はもちろん、水にさらさないといった製造手順も日本と同じです。かつてはタイの宮廷で食された高級菓子であったところも、日本の鶏卵素麺とよく似ています。
 インドなどではポルトガルと同じくクリスマス菓子の装飾をはじめとして、他の菓子の装飾の役割を演じます。マカオではイチゴの代わりに鶏卵素麺が用いられたショートケーキに出会いま した。
 タイでは日本のように単品の菓子として食され、限られた市場などで販売されていましたが、今ではタイの伝統菓子として多くの人々に愛好されています。
 マジパンや鶏卵素麺の切手は発行されていませんが、今回は彩りもあざやかな伝統料理切手の中にあらわれたタイの菓子切手を紹介いたします。

村岡安廣

世界の菓子切手 村岡安廣 22 No.175

世界の菓子切手 村岡安廣(22)世界最初の菓子切手

オーストリアで1949年に発行された児童保護基金切手のうちの1枚。切手の絵柄の額縁部分の右サイドに書かれている「GEBURTSTAG」が誕生日という意味のドイツ語。

 日本をはじめとした東アジアでは年賀切手の発行が盛んですが、欧米ではクリスマス切手が続々と登場しています。その中で、数多くの菓子がクリスマスの大切な食として、様々な意匠に用いられてきました。
 鶏卵素麺は、わが国では茶道に主菓子として使用される伝統菓子ですが、ポルトガルでは黄金の輝きをもつクリスマスケーキの飾りとして大切な役割を担っています。
 さて、今回はバースデーケーキをテーマとした傑作切手、しかも世界初の菓子切手の紹介です。
 1949年にオーストリアが発行した児童保護基金切手「幸せな子どもの情景」4種の切手のうちの1枚「子どもとバースデーケーキ」が、菓子切手の最初とされています。
 ケーキの上には1本のローソク、子どもの手にはしっかり握られた小さな匙。「さあ、ローソクを消してケーキをどうぞ」という声が聞こえてくるような光景です。
 オーストリアでは華やかな宮廷の歴史により、様々な芸術文化、生活文化が花開きました。首都ウィーンは芸術の都と言われ、カフェ文化が今なお街の中に息づいています。オーストリア各地にも様々な菓子が存在し、とりわけウィーンではザッハートルテをはじめとする数多くの銘菓が楽しまれています。
 チョコレートケーキであるザッハートルテは、約200年前のウィーン会議の折に発案され、ウィーン菓子の代名詞となっている菓子です。この切手に描かれているバースデーケーキも、形状や色合いからザッハートルテをモチーフとしたものと見受けられます。
 第二次世界大戦により悲哀を味わったオーストリアですが、菓子という生活文化、凹版印刷切手という芸術文化のいずれにもあふれる誇りと自信が、すばらしい菓子切手の傑作を生み出したのです。

ポルトガルの年末年始と鶏卵素麺  国民の9割以上がカトリック教徒であるポルトガルでは、クリスマスは特別な日。イブの夜は家族でテーブルを囲んでご馳走を食べ、さらに何種類ものお菓子を用意します。なかでも代表的なお菓子が、鶏卵素麺でデコレーションしたボーロ・レイ(王様のケーキ)や、卵黄と鶏卵素麺でヤツメウナギの形をかたどったランブレイアというユニークなケーキ。これらをクリスマスから新年にかけて、毎日ゆっくりと食べていきます。ポルトガルの鶏卵素麺はFios de ovos(フィオス・デ・オーヴォシュ)と言い、直訳すると玉子の糸。輝くような黄色が、ポルトガルの年末年始を彩ります。 1999年、ポルトガルで発行された切手「修道院の菓子シリーズ」より。(本エッセイの第1回/153号でご紹介しました。全国銘菓のホームページでご覧になれます)

村岡安廣

世界の菓子切手 村岡安廣 23 No.176

世界の菓子切手 村岡安廣(23/最終回)菓子切手あれこれ

ユニバーサル技能五輪国際大会の記念切手 平成15年発行のグリーティング切手 平成20年発行の冬のグリーティング切手(お菓子がいっぱい)

 「世界の菓子切手 村岡安廣」もいよいよ最終回。これまでご紹介していない日本の菓子切手を選び出しました。
 近年目立つのは、洋菓子が描かれた切手です。平成19年、ユニバーサル技能五輪国際大会を記念して発行された切手には、コンピュータプログラミングや左官、フラワーアレンジメント、自動車板金などとともに洋菓子製造を描いた2種が、10面切手シートの中央にデザインされています。
 左側の1種は生クリームらしき紙パックと製菓器具を持つ洋菓子技術者が「SKILLS(技術)2007」の金文字入りの白い玉状のケーキとイチゴのショートケーキを背景として描かれています。一方、右側の1種には製菓器具を使用しながら作業をする洋菓子技術者が淡い水色と線描きで表現されました。
 和菓子は登場しにくい状況の国際大会であり、パティシェ志向の高まりが示された切手となっています。
 季節ごとに定期的に発行されているシール式のグリーティング切手にも様々な洋菓子が紹介されています。
 まず、平成15年2月10日発行の80円切手5枚のグリーティング切手の右から2枚目に描かれた鳥の飾りをつけたイチゴのショートケーキです。「ケーキをどうぞ」のタイトルで、「ハート」「おめでとう」「寒いね」「寿」などのデザインとともに配置され、切手の下には小さなイチゴのシールも付属品として加わっています。
 平成20年12月8日発行の冬のグリーティング切手の背景には、冬の生活を楽しくするチョコレート様のデザインが登場し、平成22年1月25日発行の春のグリーティングの背景にも板チョコレートが示されました。後者はスイスやフランス、ベルギーで発行されたチョコレートの匂いがする切手と同型式ながら、匂いはしないようです。
 平成22年11月8日発行の冬のグリーティング切手で初めて発行された90円切手シートでは、右端が3種のケーキが並んだ切手となりました。手前からチョコレートケーキ、緑色のスポンジケーキ、イチゴのショートケーキで、それぞれに飾りが付けられています。

平成22年1月発行の春のグリーティング切手(チョコレート)。バレンタインデーを前に、板チョコを背景にしたデザイン

平成22年11月発行の冬グリーティング切手

平成元年7月14日〜9月3日に開催された「新潟 食と緑の博覧会」の記念切手。右下に描かれている同博覧会のマスコット「ダンちゃん」は、新潟の伝統菓子「笹だんご」から生まれたキャラクター

 残念ながら本格的な伝統菓子の意匠の切手はほとんど見当たらず、わずかに新潟の「笹だんご」に留まっています。しかも平成元年発行「新潟 食と緑の博覧会」記念のふるさと切手の右下に脇役として登場する小さな「笹だんご」です。
 今年初頭、日中国交正常化40周年を記念して、北京故宮博物院200選の展示が東京国立博物館にて行われました。その折、長い行列をつくった作品が、このエッセイで紹介した「清明上河図」でした(『あじわい』165号・189ページ参照)。
 中国文化が輝きを放った黄金期の一つである北宋時代に描かれた「清明上河図」には様々な情景が登場し、その中に食文化も数多く示されています。この時代から盛んになったといわれ、わが国にも伝えられて広く普及した餅や饅頭などの菓子のおいしさは、この図に描かれている人々の盛大なエネルギーの源泉となったものといえましょう。
 さらに再三、切手で登場したポルトガルに由来をもつ南蛮菓子も「西洋の骨董」といわれるポルトガルのお国柄から、象徴的な伝統文化の紹介となっています。そして、そのおいしさと感動が今の日本にも数百年の時空を超えて生き続けています。
 中国文化、南蛮文化の影響を受けながら、今や名実ともに世界一の菓子消費国となっている日本ですが、郵便切手をはじめ様々な国レベルの広報ツールは未整備で、文化としての菓子の認識は未だ弱いように感じられます。未来にわたり伝統菓子が生き続け、「おいしさと感動」が末永く伝えられるためにも、今こそ菓子という伝統文化に光を当て、菓子の持つ力を再評価すべき時でありましょう。

村岡安廣

「広告付き葉書」をご存知ですか? 吉田榮一 No.177

「広告付き葉書」をご存知ですか? 吉田榮一

月世界本舗(富山県) 両口屋是清(愛知県)
月世界本舗(富山県)
昭和57年5月1日発行。当舗所蔵の「月宮殿の図」を意匠に、菓子銘のみを配して、菓子の文化的側面を表現。
両口屋是清(愛知県)
昭和56年12月1日発行。代表銘菓の銘と優雅な意匠をそのまま意匠に活かして。

村岡総本舗(佐賀県) 柴舟小出(北海道) 六花亭(北海道)
村岡総本舗(佐賀県)
昭和57年3月1日発行。店の菓子作りの真摯な姿勢を訴える「羊羹手づくり」の絵をモチーフに。
柴舟小出(北海道)
昭和56年12月1日発行。加賀の紋どころ「梅」を紅梅の俳画にして、菓子どころ金沢をイメージ。
六花亭(北海道)
昭和57年2月1日発行。代表銘菓を大胆に配置。「ふきのとう」のパッケージが、まさしく春を呼び込む。

 皆様は表面の下部3分の1に企業や団体の広告が印刷されている「広告付き葉書」を受け取ったり、買われたりしたことがありますか。
 広告付き葉書は、現在も郵便局で「エコーはがき」という名前で売られていますが、常時発行されているわけではない上、地域限定発売が多く、さらに一般の葉書よりも5円安い45円で売られているため大量購入される方もいて、発売初日に売り切れることもしばしば。でも、機会があれば、ぜひ一度、手にとってみてください。地方色豊かなものも多く、なかなか楽しいものです。
 広告付き葉書の第1号発行は、昭和56年7月のこと。郵便料金値上げによる郵便離れを防ぐためと増収をねらった郵政省の苦肉の策だったのですが、見事に当たって一大ブームを巻き起こしました。
 当時の値段は35円(当時、普通葉書は40円)。全国版と地域版があり、全国版は大企業がスポンサーとなって1種類で1千万枚前後が全国の郵便局で発売されました。一方、地域版は地方の有名企業や団体がスポンサーとなって5万枚〜100万枚が指定地域の郵便局で販売されました。
 全国銘菓の加盟店がスポンサーになったものも多く、今回は、その中から昭和56〜58年に発売されたものをご紹介いたします。いずれも老舗らしい品格を備えながら、各店の社風もそれぞれ漂わせているような気がいたします。ひととき、お楽しみいただけたら幸いです。

鶴屋吉信(京都府) 五勝手屋本舗(北海道) 千秋庵(北海道)
鶴屋吉信(京都府)
昭和57年2月1日発行。京都らしい愛らしい女の子の意匠。翌年も別の図案で発行されている。
五勝手屋本舗(北海道)
昭和58年6月1日発行。江差追分の譜面が、地域性を強く感じさせる。江差追分会との共同発行。
千秋庵(北海道)
昭和57年6月1日発行。代表銘菓2点に「いま、さっぽろから」という斬新なコピーを添えて。

お菓子の香梅(熊本県) 九重本舗 玉澤(宮城県) なごみの米屋(千葉県)
お菓子の香梅(熊本県)
昭和57年12月1日発行。和菓子を楽しむ人々を描いた絵が美しい。
九重本舗 玉澤(宮城県)
昭和57年8月2日発行。仙台の伝統と風土が生んだ、誇り高き銘菓をそのまま意匠に。
なごみの米屋(千葉県)
昭和58年6月1日発行。暑中見舞いに使われたのだろうか。翌年にも別デザインで発行。

柏屋(福島県) 小布施堂(長野県) 龜屋(埼玉県)
柏屋(福島県)
昭和58年12月1日発行。湯気の中に見えている薄皮饅頭のおいしそうなこと。お店の温かな雰囲気までが伝わってくる。
小布施堂(長野県)
昭和56年10月1日発行。歴代のご当主が愛され、お店のシンボルともなっている北斎の「傘風子図」を意匠に。
龜屋(埼玉県)
昭和58年11月1日発行。6代目のご当主が描かれた重厚な蔵造りの本店の絵がすばらしい。

吉田榮一(よしだ・えいいち)

富山県富山市にある「月世界本舗」3代目当主。昭和12年生まれ。長年、「菓子」をメインテーマにした切手収集を続けており、今回紹介した広告付き葉書もコレクションの一端。