どらやき No.188

どらやき

「出来立て」が身上

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 東京上野に一日中、客足の絶えない菓子屋がある。うさぎや。日本一とも噂される「どらやき」が名物だ。
 大きさは直径約10センチ。丸い生地がおおらかな表情をしているのは、実は職人の掌の形だから。うさぎやのどらやきは、皮の周辺部だけを掌で一瞬押さえ、餡を包んでいるのだ。
 きめ細やかでハリのある皮と、小豆の一粒一粒が輝く、やわらかな粒餡。頬張れば、二つの美味が別々に押し寄せ、やがて喉の奥で一つになる。この特別なおいしさこそが、うさぎやが時をかけて研ぎ澄ましてきたものだ。
 客足が絶えないから、いつも焼き立て、いつも出来立て。今日中にお召し上がりください、と手渡されるどらやきだが、早いにこしたことはない。その場で封を開ける人々の笑顔が、この店の幸せを象徴している。

鮮やかな緑色の紙袋。うさぎの絵のなんと斬新なこと!しかも絵は、袋のマチの部分を通り、裏側まで続いて、1 匹のうさぎになっている。 味のある「うさぎや」の文字と、独特のマーク。それらを柔らかな線が囲んでいる。一度見たら忘れられない意匠。

うさぎや

東京都台東区上野1−10−10
TEL 03(3831)6195

大正2 年(1913)の創業。ここ上野で100 年余、暖簾を揚げてきた。店名は、初代・谷口喜作が卯年生まれであることに由来する。

ケンピ No.187

霜ばしら

「堅い」が身上

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西川屋老舗の初代が考案したという 「ケンピ」は、小麦粉と砂糖を水で練り、細く切って焼き上げた菓子である。その特徴は、とにもかくにも堅いこと。歯が立たないとは、この菓子のことだ。
 ところが口に入れ、唾液に触れさせてから噛みしめると、「ケンピ」は豪快にくだける。そして、豊かな小麦の香りと素朴な甘さがあふれ出す。
 だから、軟らかい菓子が全盛の昨今でも「ケンピ」の人気は不動。高知の銘菓といえば、第一にこの頑固にして明快な菓子の名が挙がるのだ。
 土佐の男は「いごっそう」、頑固で強情だとはよく言われることだが、菓子もまた、その気風を映す。そして、12代を継いできた当主が、店の原点ともいうべきこの菓子の命である小麦の香りを嗅ぐところから、店の1日が始まるのである。

包装のデザインは初代・才兵衛の情熱と、南国土佐の風土をイメージした鮮やかな赤色が印象的だ。 「西川屋」の字は、元禄元年創建の旧本店の看板から。ユニークな「ケンピ」の字は先代が発想したもの。

西川屋老舗

高知県高知市知寄町1−7−2
TEL 088(882)1734

慶長6年(1601)に土佐に入国した山内一豊公のもと御用商人として仕え、
素麺や麩、菓子などを扱ってきた。初代の名を代々受け継いで12代になる。

霜ばしら No.179

霜ばしら

一篇の詩

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 仙台は、大震災からの復興途上の東北で、中心都市としての重みをいよいよ増してきている。まず大都市仙台が明るさと活気を取り戻すことが、被災地を勇気づけることになるに違いないからだ。
 今回はその仙台から、伝統の菓子舗の、珠玉の銘菓をご紹介する。九重本舗玉澤が10月から翌年4月まで、冬季限定で販売する「霜ばしら」だ。
 九重本舗玉澤は江戸初期の延宝3年(1675)創業という、老舗中の老舗。茶道の盛んな仙台藩に、近江から初代玉澤伝蔵が菓子職人として招かれたのが始まりであった。屋号の「玉澤」は初代の姓、「九重本舗」の方は、明治天皇の御意にかなったというこの店の代表銘菓「九重」を、そのまま用いたものである。「九重」、
「霜ばしら」ともに、九重本舗玉澤の銘菓は、卓抜な着想と、繊細をきわめた技術によって作られているのが特色だ。
 その後、当主は近江氏を名乗り、現社長の近江嘉彦氏は13代目である。
「霜ばしら」の栞には、「霊峰・蔵王の嶺々が真白に冬の粧いを整え、麓にも霜ばしらが立ち始める頃、菓子職人の手作業による銘菓『霜ばしら』の製造がはじまります」とある。
「霜ばしら」は、日々の天候を見ながら水飴を高度な職人技で薄く薄く引き伸ばして作るお菓子で、まさにそうした北国の冬の訪れから生まれた、姿、味ともに一篇の詩のようなお菓子である。
 包装紙は、ピンク系の地色に社名を赤で、家紋風のマークを白ヌキで等間隔に入れてある。マークは松葉丸のなかに王(玉)の字。包装紙を解くと、丸い缶が厚紙の四角の筒からのぞいている。
 厚紙の筒と缶のデザインは同じ。真っ青な空に真っ白な雪が飛んでいるように見える模様が、爽やかである。青一色の缶の蓋と側面に、オレンジ色で縁取った半円形の白地を設け、商品名と社名が入れてある。青とオレンジの対照が効果的だ。
 蓋を開けると、缶には真っ白ならくがん粉が満たしてあり、らくがん粉を少し除けると「霜ばしら」が頭を出す。繊細な菓子がこわれないよう、らくがん粉で守っているのだ。
 2cm×3cm大の一片は、白く、薄く、透明で、霜柱そのもの。口に入れると、上品な甘さを残して、すっと溶けてしまうのに驚かされる。

文/大森 周
写真/渡部 健五

九重本舗 玉澤

仙台市太白区郡山4丁目2-1
TEL 022-246-3211

蕎麦ほうる No.178

蕎麦ほうる

古淡風雅の味

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 京都ではかつて、菓子屋が蕎麦を打っていた時代があったといわれる。今のように日常的に蕎麦を食べなかった時代、必要なときに、お寺などが菓子屋で蕎麦をあつらえていたのだ。菓子屋には粉を扱う技術と道具が揃っていたからである。
 そういう時代の面影を、今に伝えているのが、京都の蕎麦の老舗として名高い河道屋だ。
 河道屋は、蕎麦の晦庵河道屋と、菓子の総本家河道屋に分かれている。

 創業は元禄時代、初め一つだった店を、14代目が隠居仕事のために建てた晦庵を蕎麦専用に、本店を菓子だけを扱う店としたようだ。総本家河道屋は、以前はいろいろなお菓子を作っていたが、今は、明治初期に12代目植田安兵衛が創案した銘菓「蕎麦ほうる」ただ一品しか製造販売していない。両河道屋の現在の当主は、16代目の植田貢太郎さんである。

 「蕎麦ほうる」の「ほうる」は、「ぼうろ」と呼ばれる菓子と同じくポルトガル語からきていて、南蛮菓子の製法を取り入れた、というほどの意味だ。蕎麦粉、小麦粉、砂糖、卵を材料とする焼き菓子で、形もシンプルに梅の花と蕾をかたどった2種類だけ。口に入れると、蕎麦の香りが広がり、さっと口溶けする、いってみれば和風クッキーの傑作である。  缶入りの「蕎麦ほうる」を開いてみることにしよう。まず、包装紙が好もしい。型押しのように見える細かいストライプの入ったアイボリー系の地色に、濃い緑色で「蕎麦ほうる」そのものの梅の花と丸い蕾が、不規則に散らしてある。上品で、どこか懐かしさを感じさせるデザインだ。

 包装紙をはずすと、全面模様の缶。紫系の色で印刷されているのは、茶室の天井などによく見かける、篠竹を細かく編んだ模様だ。正面に、商品名と店の名を墨書した和紙が貼りつけてある。缶は二次利用しやすいように、蓋に文字を印刷していないとのこと。心配りが缶のたたずまいにも、温かく表れている。  缶を開けると、薄紙を透かして、ほっこりとした色の「蕎麦ほうる」が見えた。すぐに手が出る。京都にこの古淡風雅な味が伝えられていることを思うと、頼もしく、嬉しくなってくる。  堂々たる老舗が、この一品だけを守って悠々と商いを続けていることこそ、まさに風流というべきだろう。

文/大森 周
写真/渡部 健五

総本家河道屋

京都市中京区姉小路通 御幸町西入ル
TEL 075-221-4907

亀乃居 No.176

新菓苑

昔話の味

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 山口市を訪ねると、ふっと癒されるような落ち着いた雰囲気に包まれる。江戸時代よりも古い、雅な伝統が生きている町だからだ。
 山口は室町時代に、明国(中国)との貿易で巨富を蓄えた大内氏が、京の都を模して建設した町であり、西の京と呼ばれて繁栄した。今でも、山口の町を歩くと、江戸時代を飛び越えて古い大内氏の時代の痕跡が色濃く見えてくる。サビエル記念聖堂、瑠璃光寺五重塔、常栄寺の雪舟庭園など、山口の名所はいずれも大内氏ゆかりのものだ。
 今回装いを拝見するのは、この西の古都ともいうべき山口の老舗・山陰堂の、銘菓「亀乃居」である。
 山陰堂は、目抜き通りのアーケード街で、木造瓦葺きの白漆喰、広い間口がひときわ目を引く店だ。現在の主人は6代目の竹原文男さん(昭和7年生まれ)。創業は明治16年(1883)、竹原弥太郎が津和野藩の士分を辞して、この地で創業した。代表銘菓「舌鼓」も「亀乃居」もともに初代が考案した銘菓だ。
 山陰堂の包装紙は爽やかな緑。緑の地に、防長米の餅米の稲穂をあしらった舌鼓のマーク、竹原家の家紋(五瓜に唐花)の唐花の代わりに「山」の字を入れた山陰堂の社章、亀山らしき小山の線画などが、若草色と白で抜いてある。箱は金銀砂子を漉き込んだアイボリー地の和紙貼りで、左下に社章が金で箔押しされ、中央に「亀乃居」のロゴと社名の入った白紙が貼ってある。
 箱を開けると、「伝説『亀の居』由来」という初代の一文を載せたしおりが入っている。要約すると、昔、山口に城のある亀山という小山があり、簡単に攻め落とせそうに見えて、敵が攻めてくると不思議に小山が伸び縮みして敵を寄せつけなかった。それは山に一匹の大亀が主として住んでいたからで、ある城主がそれを知らずに城の周りに濠を掘ったため、大亀はどこかに行ってしまった、という話である。「亀乃居」の菓銘の由来だ。
 個包みがまた美しく、表が金、内部が銀の袋の表面に、薄いアイボリー系の紙を貼ったらしく、ほのかに下地の金が光る。封を切ると、中から6角形の最中。片面に「山陰堂」、もう一面にはかわいらしい亀の略画が型押ししてあった。
 「亀乃居」は「舌鼓」と同じ、皮と餡の間に隙間がなく、口の中でしっくりと溶け合う。最中こがし種の風味と粒餡の風味が絶妙だ。

文/大森 周
写真/渡部健五

山陰堂

山口市中市町6-15
TEL 083-923-3110

新菓苑 No.173

新菓苑

お菓子で名苑散策

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 金沢が、京都に次ぐ、和の文化を伝えてきた都市であることは、誰もが知るところである。芸能、工芸、文芸などに第一級の水準をめざす土地柄であり、和菓子もその例外ではない。
 数ある金沢の伝統銘菓の一つに、「柴舟」がある。柴を積んだ舟をかたどった反りのある小判形の煎餅で、生姜味のきいた白砂糖の爽やかな甘さは、かつて和菓子を愛好した俳人・中村汀女も絶賛した。今回ご紹介するのは、その「柴舟」の店として知られる柴舟小出の銘菓「新菓苑」である。
 柴舟小出は、大正6年(1917)に小出定吉が創業し、2代目の小出弘夫が金沢の郷土銘菓の「柴舟」に工夫を加え、新しい命を吹き込んで成功した。現在は3代目の小出進さん(昭和24年生まれ)が、金沢和菓子の伝統の上に立って、さまざまな新しい試みを展開している。
「新菓苑」は、名勝兼六園にちなんで創作された菓子で、金沢ならではの遊び心にあふれた優雅な逸品である。早速、8個入りの包みを開いてみることにしよう。
 まず、包装紙は黄の地色にワレモコウ、ナデシコ、ツルバラなどが散らし描かれていて、「雪国や苑の名草の芽も揃ふ」という俳句が3行に分かち書きされている。絵も俳句も、作者は黒田桜の園(本名・尚文)。桜の園は、金沢で歯科医を営むかたわら、水原秋桜子門下となって俳句をよくし、絵も日展に連続入選するなど、昭和の金沢の文化サロンを築いた一人として知られる人物。さすがに力の抜けた、楽しい絵だ。
 包装紙を解くと、水草と、水の上に花びらが散り落ちているような絵柄をあしらった箱が現れる。蓋を開けると、寝かせるように積められた8個の個包みが美しい。3種類ある個包みにまた、絵と菓名が入っていた。
 白椿の絵が入った〈戸室〉は、兼六園の雪見橋などに使われている戸室石を表している。中身は2段重ねの砂糖たっぷりの打ち物。白い桜の花の絵の入った〈曲水〉は、兼六園の亀甲橋にちなんで6角形の形をした、粒餡をゼリーで包んだ菓子。〈傘の雪〉には、野菊の絵が描かれ、中身は兼六園の唐傘山に雪の積もった風情を写した焼菓子の饅頭である。
「新菓苑」の装いは、こうして文字で書くとやや繁雑になるが、実際には繊細で、かわいらしい。菓子一つひとつの味わいはこの上なく上品で、いただきながら金沢の話題が盛り上がること請け合いだ。

文/大森 周
写真/渡部健五

柴舟小出

石川県金沢市横川7-2-4
TEL 076-241-1454

朝汐 No.172

朝汐

砕け散る潮の香

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 松江といえば宍道湖を思い浮かべるが、松江と出雲を含む地域は、日本海の荒海に洗われる、ゆるやかな形をなす半島でもある。この神話に彩られた島根半島が、古代日本の中心地の一つであったことは、周知のとおりだ。
 島根に打ち寄せる日本海の波は美しい。東山魁夷画伯が皇居新宮殿の壁画に、岩に砕ける潮を描くにあたって島根の海に取材したのも、日本創世の地の海原に引きつけられるものがあったからであろう。
 松江の老舗・風流堂に、「朝汐」という銘菓がある。形からして腰高で気韻の感じられる饅頭だが、明治23年に風流堂を創業した初代が、島根の海に砕け散る朝潮をイメージして創案したものであるという。自然薯を用いた真っ白な皮から、中にたっぷりと詰まった皮むき餡が一点透けて見え、景色をなしている。
 風流堂は、2代目が復元した松平不昧公好みの打ち菓子「山川」によって全国に知られる店で、現在の当主は4代目の内藤守さん。内藤家は、菓子業に転ずる前は松江大橋のたもとで廻船問屋を営み、何代も続いた商家であったという。
 さて、8個入りの「朝汐」の“装い”を観賞してみよう。包装紙は、まさに内藤家の故地ともいうべき江戸時代の松江大橋が、切り絵風の図で表されたものである。橋を中央に、松江城も伯耆大山も描き込まれている。
 包装紙を解くと、上品な灰青色の中央に同系の色でやや濃く、青海波の模様が円窓風に刷り込まれた箱が現れる。箱には墨で「元祖朝汐」の風雅な文字と店名。
 次いで、箱を開け、一瞬「おやっ」と思う。棹ものが2本入っているように見えるからである。実はそれぞれに4個ずつ饅頭が収まっているのだが、棹のデザインがまた箱と形も色も関連させた円窓の青海波で、思わず見とれてしまう。棹の一方を押すと、中から「朝汐」の並んだ小箱がするすると出てくる。
「朝汐」は、割ってみると、皮と餡がしっくりと溶け合っている。皮にほのかな自然薯の香りがして、甘みが感じられる。餡は、あっさり甘さの皮むき餡とはいいながら、十分に甘い。かつて俳人の中村汀女が、このお菓子の「塩加減に感心する」と書いたのは、おそらく「朝汐」の甘さの秘密を言い当てたものであった。
 甘党としては、一つではとてもおさまらない菓子である。

文/大森 周
写真/太田耕治

風流堂

松江市白潟本町15
TEL 0852-21-2344

鳩サブレー No.170

鳩サブレー

鎌倉、といえば

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 今では、鎌倉は古都鎌倉といわれ、古いお寺や鎌倉時代の歴史を訪ねる場所になっている。若い人々のなかには、そういう鎌倉を代表するお菓子が「鳩サブレー」であることを不思議に思われる方もあるだろう。
 実は鎌倉は、江戸時代末期にはすっかりさびれて半農半漁の閑村と化していた。鎌倉が復興し、古都としても見直されるようになったのは明治以降、都市に近い別荘地として発展したからである。海辺にはホテルができて外国人が訪れ、緑豊かな谷戸(山に切れ込んで谷をなす土地)には瀟洒な邸宅が点在するモダンな町になった。
 「鳩サブレー」誕生のきっかけも、明治30年頃、お菓子屋を始めてまもない初代の久次郎が、海浜院というホテルに滞在していた外国人からビスケットをもらったことに始まる。
 これから子どもに喜ばれるのはこの味だ、と確信した久次郎は試作に試作を重ねる。そして、まずまずのものが出来上がって、欧州航路から帰ったばかりの友人の船長さんにみせると、こう言われた。「久さん、こいつはワシがフランスで食ったサブレーちゅう菓子に似とるゾ」
 初代は、かねて鶴岡八幡宮を祟敬しており、本殿の額の八の字が鳩の抱き合わせになっているところに目をつけていたから、菓子を鳩の形にすることを思いつく。「鳩サブレー」という菓銘が、そこから生まれた。以来、「鳩サブレー」は、初代が考えた抜き型のデザインで、当時のレシピのままに作られているのだそうだ。
 28枚入りの「鳩サブレー」の缶を開けてみよう。包装紙は白地に小さな金色の鶴を散らしたもの。源頼朝公が千羽鶴の放生会を営んだという古事にもとづくデザインとか。洗練された、上品な包装だ。
 この包装紙をはずすと、おなじみの黄色い缶が現れる。明るい黄色の蓋の、中央縦に赤いロゴ文字の「鳩サブレー」、文字の下に黒の輪郭線で縁取られた白い鳩の絵。文字の赤と、鳩の目の赤い点が呼応して、絶妙な効果をあげている。
 湿気を避けて容器に缶を用いるのは老舗ならではのこだわりだが、それにしても「鳩サブレー」の缶はシンプルで美しい。缶を開けると、大きな「鳩サブレー」がぎっしり。紅茶でもコーヒーでも、ミルクと一緒でも、おいしいのである。

文/大森 周
写真/小川堅輔

豊島屋

神奈川県鎌倉市小町2-11-19
TEL 0467-25-0810

初雁焼 No.168

初雁焼

小江戸一のみやげ

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 小江戸・川越と呼ばれる。こう呼ばれるのは、江戸時代を思わせる蔵造りの町並みが残っているからだけではない。川越の歴代の藩主はいずれも徳川将軍家の親藩、譜代で、代々幕閣であった。当然、政治も文化も江戸風である。その上、新河岸川の舟運という大動脈で江戸とつながり、経済的に江戸と密接な関係にあった。関東平野で、最も江戸との間に生きた交流を保ってきた都市なのである。だから、川越を訪ねたら、蔵造りの町を眺めて通るだけでなく、一歩踏み込んで、川越の人に声をかけ、江戸の気風にふれたいものである。
 その川越を代表する銘菓は、芋せんべいの「初雁焼」。川越城を初雁城とも呼ぶことにちなんでつけられた菓名だ。製造元の老舗亀屋は、川越に江戸を伝える旧家の一つである。創業は天明3年(1783)。以後代々川越藩の御用菓子司をつとめ、明治に入ると第八十五国立銀行(現、埼玉りそな銀行)を創立して頭取につくなど、当主は常に川越経済界のリーダーの一人であった。本店の一角にある土蔵を活用した、橋本雅邦などの名画を展示する山崎美術館は、6代及び7代目の創設である。
 現在の当主は8代目の山崎嘉正さん(昭和32年生まれ)。『家業は世の進歩に順ずべし』の家訓を守り、芋ペーストを用いたシュークリーム「川越いもシュー」を開発してヒットさせる一方、糖蜜を塗らない素焼きの「初雁素焼」を売り出した。この素朴な味の追求も、逆説的に、「世の進歩」に順じたものである。
 藩の御用をつとめていた亀屋には、上生菓子にも焼菓子にも銘菓が少なくない。「初雁焼」が亀屋の代表銘菓になったのは、「栗より(九里四里)うまい十三里」(十三里は川越と江戸との距離)と、川越のさつま芋が江戸で評判を呼んだ江戸後期からである。
 さて、「初雁焼」の包みをあけよう。箱は左右の角が傾斜した、ふっくらとした造り。おそらく、亀の甲の形を模したものだ。掛け紙には蔵造りの家並みと空を飛ぶ雁の絵である。箱を開けると、7、8枚ずつの「初雁焼」が2包み入っていた。さつま芋を鉋で薄くけずり、鉄板に挟んで焼き、糖蜜と黒ごまをまぶしたお菓子である。大きな芋からでも、5、6枚しかできないという。
 まず見た目に、金貨の大判を連想するような豊かさがある。芋の滋味を引き立てる甘さは飽きない味で、食べているうちに、最初に堅いと思った感覚を忘れてしまう。小江戸いちばんのみやげだ。

文/大森 周
写真/小川堅輔

龜屋

埼玉県川越市仲町4
TEL 049-222-2051 FAX 049-225-5676