和菓子探検(11) 和菓子キャラクター 今も昔も人気者 No.224

和菓子キャラクター 今も昔も人気者

>” height=”150″>             </p>
<p style=最中ノあん太八重成
「上戸と下戸見立大合戦」
(1892)より
吉田コレクション

 和菓子キャラクターと聞いて真っ先に思い出すのは、顔があんぱんの「アンパンマン」でしょうか。正義の味方、スーパーヒーローがあんぱんとは実にユニーク。同作品にはヨーカンマダムやあめぼうや(金太郎飴)ほかも登場しますので、甘いもの好きにはたまりません。菓子を人間に見立てて描くという発想が楽しいですが、意外にもこうした擬人化はすでに江戸時代の黄表紙(漫画)や錦絵にも見られるもの。今回は和菓子キャラクターを追ってみましょう。

 まず注目したいのが、黄表紙の『名代干菓子山殿』(一七七八)。美人画で名高い鳥居清長が、絵はもちろん、作も手がけたと推測されています。アンパンマンの場合、動物や植物なども登場人物に含まれますが、こちらは全員が菓子。干菓子山殿(東山殿、つまり室町幕府の八代将軍足利義政の洒落)の秘蔵の茶碗を金平糖が盗んでしまい、家来の小落雁が恋人松風と共に奔走し、無事取り戻すという物語です(図1)。

 一見、人物画のように見えますが、頭の上に菓子がのっているのがポイント。設定も凝っていて、たとえば黒い羊羹をのせた人物は、カス寺(カステラ)の羊羹和尚です。禅僧が中国から羊羹をもたらしたという歴史も踏まえており、洒落が効いています。

図 1,2

図1(左より) 落雁・小落雁・松風
『名代干菓子山殿』(1778)より 国立国会図書館蔵

盗まれた茶碗を取り戻し、小落雁と松風は夫婦になり、父親の落雁は隠居となる。

 黄表紙では、野菜・果物・道具といった「物」を顔にして擬人化する場合もあります。菓子では、庶民に人気のどら焼(*)をモデルにした「どらやきまる介」がその一例(図2)。顔に目・鼻がつき、着物に「ど」の字が書かれています。これこそアンパンマンの原形? もしくはドラえもんの先祖? とびっくりです。

 錦絵では、本誌「竹皮」の回(二〇二一年夏号)でも取り上げた「太平喜餅酒多多買」(一八四三〜四六)がよく知られています。江戸の菓子と酒を武将に見立て、両者が争う場面を描いたもので、ここでは腹太餅と大福をご紹介しましょう(図3)。

 杵を振り上げている腹太餅は一つ目小僧を連想させるかもしれませんが、実は亀の焼印が押されています。武器の杵、胴の重箱、腰の菓子袋はご愛敬でしょう。隣の大福には「寿」の字が見え、劣勢とはいえ、おめでたい「顔」が笑いを誘います。

図 2,3

図2 どらやきまる介
『風流上下の番附』(1776)より
東京都立中央図書館特別文庫室蔵

図3 「八文太郎腹太」(腹太餅)と「やき立九郎大福」(大福)
歌川広重「太平喜餅酒多多買」(1843〜46)より
虎屋文庫蔵

図4 歌川春暁「上戸と下戸見立大合戦」(1892)

図4 歌川春暁「上戸と下戸見立大合戦」(1892)
吉田コレクション

 こうした餅酒の合戦図はその後も複数作られ、「上戸と下戸見立大合戦」は明治二十五年(一八九二)の作(図4)。鹿子餅や羊羹など、広重の作品に共通する菓子がある一方、桧葉焼饅頭、すあま、四角い金つばといった、近代におなじみの菓子も描かれています。ただ図3同様、どれものっぺらぼうなので目鼻をつけたくなりますね。

 時代は飛んで、昭和二十四年(一九四九)には少女向け雑誌に漫画『あんみつ姫』の連載が開始されます(図5)。お茶目な「あんみつ姫」を主人公に、カステラ婦人や茶坊主まんじゅうほか、和菓子名のキャラクターが勢ぞろい。話題を集め、映画やテレビドラマにもなりました。

 そして現在も和菓子キャラクターは、佐賀県小城市の「ようかん右衛門」(図6)のようにご当地キャラの一員として、あるいは商品のマスコットとしてなど、幅広く活躍しています。

 令和七年(二〇二五)、北海道旭川市で開催される「全国菓子大博覧会」の公式キャラクターは「シマエ大福」(図7)。北海道にのみ生息する野鳥シマエナガにそっくりな愛らしい豆大福の妖精です。和菓子キャラクターは人々を笑顔にしてくれる存在。応援して、菓子博を盛り上げたいですね。

図5 『あんみつ姫』

図5 『あんみつ姫』
二見書房・サラ文庫版(1976)の表紙

図6 だんご馬/山地製菓

小商144号

図6 ようかん右衛門
佐賀県小城市
公式キャラクター
刀は黒文字!

図6 だんご馬/山地製菓

図7 シマエ大福
北海道「全国菓子大博覧会」
公式キャラクター

*当時は小麦粉生地で餡を包み、焼いたものと考えられる。

参考
「黄表紙 江戸おもしろお菓子展 – 干菓子でござる」小冊子(二〇〇〇年)
「 – 錦絵 太平喜餅酒多多買 – お菓子とお酒の大合戦」展 小冊子(二〇〇二年)
『蒐める楽しみ 吉田コレクションに見る和菓子の世界』 (二〇一二年)

いずれも虎屋発行

中山 圭子(虎屋文庫 主席研究員)

虎屋文庫のご紹介

昭和48年(1973)に創設された、株式会社虎屋の資料室。虎屋歴代の古文書や古器物を収蔵するほか、和菓子に関する資料収集、調査研究を行い、機関誌『和菓子』の発行や展示の開催を通して、和菓子情報を発信しています。資料の閲覧機能はありませんが、お客様からのご質問にはできるだけお応えしています。HPで歴史上の人物と和菓子のコラムを連載中。

お問い合わせ
TEL:03-3408-2402 FAX:03-3408-4561
MAIL :bunko@toraya-group.co.jp
URL:https://www.toraya-group.co.jp/corporate/bunko

和菓子探検(12) どこもかしこも「ふ」の字尽くし No.225

どこもかしこも「ふ」の字尽くし

豊原国周
「〔有卦絵〕金性の人」
(1866)より
東京都立中央図書館蔵

 福助とお多福が、三宝や船を手に微笑む錦絵(図1)。江戸時代末期から明治時代に流行した、「有卦絵」の一つです。

 陰陽道の考え方では、人間は五行(木火土金水)のいずれかに属し、それによって吉運、凶運に入る年が異なるとされます。吉運が続く時期を「有卦」といい、七年間、万事が吉方へ向かうとされ、逆に「無卦 」には五年間、凶運が続くと考えられていました。この「有卦」に入る人に、より一層福をもたらすものとして贈られたのが、有卦絵です。

 有卦を祝う際には、三宝や「有卦船」と呼ばれる船に菓子を飾る風習があったので、ここに描かれているのも菓子と考えてよいでしょう。三宝には二股大根、ふくら雀、笛などが見え、船は筆を帆柱に、富士山、袋(巾着)、福寿草、分銅、振袖と、頭に「ふ」が付くものが揃えられています。「福」を連想させるためか、「ふ」の字尽くしは大変縁起の良いものと考えられていました。

図1

図1 歌川豊斎「(有卦絵)」(1906)虎屋文庫蔵
有卦菓子は7個を1組として用意したという。有卦船は福女(お多福)、あるいは帆の「福」の字を、三宝は福助を含めて「ふ」が7つになるよう意識したものだろうか。

 菓子の製法書である『実験和洋菓子製造法』(一九〇五)によれば、こうした「有卦菓子」は有卦入りした人が神棚や床の間に飾るもの。打物や有平糖(飴菓子の一種)、雲平(砂糖に寒梅粉を混ぜた生地を薄く伸ばして型抜きしたもの)などで作るといいます。普通のものは経木製の三宝に、少し良いものは麦わらで編んで綺麗に細工した船に、さらに上等なものは砂糖で作った船に載せて売られたとあり、値段により、仕様も変わったようです。

図2

図2 虎屋の『幸袋』(右)と『福寿草』(左)
袋(巾着)や福寿草は、縁起の良いモチーフとして、菓子の意匠に好まれる。

 図3(次頁)の男性は、有卦船を床の間に飾ろうとしているところでしょうか。筆、袋、分銅は先の絵と同様で、右端の植物は二葉葵に見えます。面白いのは、絵全体が、これでもかという程「ふ」の字尽くしとなっていること。三幅の掛軸の右は富士山に登り龍、中央に福助、左には風船で上昇する人物が描かれています。風船は、明治二十三年(一八九〇)、英国人スペンサーが横浜公園で行った興行をイメージしたもの。軽気球で上昇し、落下傘(現在のパラシュート)で降下するパフォーマンスが大評判となりました。さらに襖には二見浦(三重県伊勢の景勝地)の絵、床柱に藤の花、床の間には「福」の字入りの鉢に植えられた福寿草が置かれる徹底ぶりです。贈られた人は、絵の中に「ふ」が付くものを探して楽しんだことと思います。

 「ふ」の字尽くしの有卦祝いの風習がいつ頃広まったのかは不明ですが、江戸時代の幕府や諸藩では、すでに「ふ」の付くものの贈答が行われていました。幕府御用をつとめた菓子屋・金沢丹後の記録には、有卦用として、二股大根や富士山、藤などの干菓子や有平糖が確認できます(『金沢丹後江戸菓子文様』)。

図3

図3 歌川国貞(3世)「〔有卦絵〕金性の人」(1891) 東京都立中央図書館蔵
男性の羽織にふくら雀の紋、女性の着物の模様にふくべ(瓢箪)が見える。中央の掛軸には、蜀山人の狂歌(「有卦に入る 数は七年 何事も 笑ふて暮せ ふふふふふふふ」)も。

 ちなみに、虎屋に残る宮中の有卦・無卦祝い(*1)の記録には、「ふ」の字尽くしではなく、「百味菓子」(図4)が見えます。百味とは、一○○種類の菓子、あるいは多くの菓子の意(*2)で、専用の百味箱に入れて用意されました。一段二十個を五段重ねて計一〇〇個。枠のサイズから、一個の菓子が、現在の店売り生菓子の約三倍(一五〇g)はあったと考えられ、驚きです。文化九年(一八一二)光格天皇の有卦明き(「無卦」を避けた言葉)の御用記録(図5)には、菓銘だけでなく意匠の墨書きもあります。虎屋と同じ禁裏(宮中)御用菓子屋の二口屋と共同で納めたため、細かく記録を残したのかもしれません。

 残念ながら、現在では有卦祝いの風習は廃れていますが、お祝い事の折には、「ふ」の字尽くしの菓子を用意してみるのも楽しいかもしれませんね。

図4 虎屋の百味箱(複製)と百味菓子(再現)

図4 虎屋の百味箱(複製)と百味菓子(再現)

図5 有卦明きの御用記録

図5 有卦明きの御用記録
「御百味御菓子之銘書」(1800〜31)より虎屋黒川家文書
右から、千代の鶴、萬狩、笠牡丹、東籬

*1 災いを転じる意味で、無卦にも祝い事を行った。
*2 鯛や梅干しなども取り交ぜて用意された。

参考
「福よ来い!占い・厄除け・開運菓子」展 小冊子、虎屋、二〇〇四年。

河上 可央理(虎屋文庫 研究主査)

虎屋文庫のご紹介

昭和48年(1973)に創設された、株式会社虎屋の資料室。虎屋歴代の古文書や古器物を収蔵するほか、和菓子に関する資料収集、調査研究を行い、機関誌『和菓子』の発行や展示の開催を通して、和菓子情報を発信しています。資料の閲覧機能はありませんが、お客様からのご質問にはできるだけお応えしています。HPで歴史上の人物と和菓子のコラムを連載中。

お問い合わせ
TEL:03-3408-2402 FAX:03-3408-4561
MAIL :bunko@toraya-group.co.jp
URL:https://www.toraya-group.co.jp/corporate/bunko