資料に見る和菓子 第十一回 No.207

井籠

 焼印は、焼目を付ける金属製の道具で、雪や紅葉、千鳥などさまざまな意匠があります。
 史料を調べると、江戸時代の菓子製法書、『古今名物御前菓子図式』(一七六一)の「鶉焼」の項目に「金の羽なり形」、つまり羽の意匠の道具が出てきます。餡を包み、鶉のようにふっくらしたかたちに整えた、米粉生地の餅の上に焼き付けるとあり、絵図も添えられています。こうした道具の細工が精密になり、多種多様な意匠の焼印に発展していったものと想像されます。

 虎屋の事例を見てみると、天保三年(一八三二)六月七日に光格上皇より御銘を頂戴した「長生餅」に、根引きの松の意匠を配した饅頭の図と、「松の焼目付」との注記が見えます。長生とは文字通り、長生きのこと。常盤の松の意匠から長寿を願い、長命を祝う意味で命銘くださったものでしょうか。

 明治時代以降には、各地で名所旧跡の焼印を押した瓦煎餅が作られ、土産として売り出されました。また新年向けの菓子の図案集には、干支の意匠を焼印で表現した菓子が多く描かれており、焼印が盛んに使用されたことがうかがえます。現在でも、干支の文字や動物の焼印付きの紅白饅頭などは定番といえ、お正月に口にされた方もいらっしゃることでしょう。
 そのほかなじみ深いものといえば、温泉マークを焼き付けた温泉饅頭があげられます。ほかほか湯気をあげるマークは旅情を誘い、皮に焼目が付くことで香ばしさも加わり、まさに焼印の面目躍如といえます。このように焼印は饅頭に押すことが多いですが、どら焼やカステラ、焼物製の菓子にも使われます。さらに、ちくわやかまぼこ、玉子焼などの食品ほか、引出物の祝枡、富士登山記念の金剛杖にと、用途はさまざまで、案外身近な存在です。
 

 焼印は、砂で原型を作り、溶かした鉄を流し込んで作る伝統的な鋳物製のもの、 鉄や銅、真鍮の板に意匠を彫ったものが代表的ですが、近年では機械彫りによって細かい意匠の再現も可能となり、企業のロゴや画数の多い文字の焼印を作ることも容易になりました。屋号や数字の焼印は、開店祝いや周年行事の際に便利ですし、名前や自作のイラストをデザインしたマイ焼印があれば楽しみが広がりそうです。
 とはいえ、美しく押すのは案外難しいもの。押し直しはできず、連続して押していると温度が下がってくるので、押す時間や強さを微妙に加減しながら、同じ色に仕上げなければなりません。一発勝負の職人技といえるでしょう。

所加奈代(研究主任)

虎屋文庫のご紹介

昭和48年(1973)に創設された、株式会社虎屋の資料室。虎屋歴代の古文書や古器物を収蔵するほか、和菓子に関する資料収集、調査研究を行い、機関誌『和菓子』の発行や展示の開催を通して、和菓子情報を発信しています。資料の閲覧機能はありませんが、お客様からのご質問にはできるだけお応えしています。HPで歴史上の人物と和菓子のコラムを連載中。

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資料に見る和菓子 第十二回 No.208

菓子製法書 虎屋文庫

 今回は、江戸〜明治時代にかけての菓子製法書をいくつかご紹介しましょう。
 江戸時代になると、商業出版が盛んになり、文芸作品だけでなく、医学書や料理書といった専門書も数多く登場します。菓子の製法は『料理物語』(一六四三)や『合類日用料理抄』(一六八九)といった料理書に含まれていましたが、江戸時代中期以降、今見るような色かたちの美しい菓子が作られるようになったこともあり、専門の製法書が刊行されるようになりました。

 代表的なものといえば、もっとも古い『古今名物御前菓子秘伝抄※1』(一七一八)と、『古今名物御前菓子図式※2』(一七六一)、近世菓子製法書の白眉ともいわれる『菓子話船橋※3』(一八四一)の三冊でしょう。菓子店では、職人のあいだで技術が受け継がれてきたため、江戸時代の製法や分量に関する史料はあまり多くありません。しかし、これらの製法書と、菓子の絵図を描いた見本帳などを合わせて見ることで、当時の菓子を想像することができます。

 ここでは、三冊それぞれの「餡の作り方」にある砂糖の分量に注目してみましょう。『古今名物御前菓子秘伝抄』では、小豆の漉粉一升(約一.五kg)に砂糖五合(約五五〇g)と、小豆に対して砂糖はおよそ三分の一です。まだ砂糖が高価で希少だったためでしょう。しかし『古今名物御前菓子図式』になると、漉粉と砂糖が同じ量に。また、砂糖のアクの取り方など、細かな製造のコツも加えられています。そして『菓子話船橋』では、漉粉一升に対し、砂糖液が四五〇匁(約一.七kg)と、砂糖液の量が上回りました。時代が下るにつれて、現在私たちが口にしているような餡が作られるようになったことがわかります。

 このほかにも、江戸時代にはいくつか製法書が刊行されました。『東海道中膝栗毛』で有名な戯作者、十返舎一九による『餅菓子即席手製集※4』(一八〇五)は、挿絵に注目いただきたい史料です。上の絵は、カステラの製造風景を描いたもので、左下に引き釜、右にカステラ鍋が見えます。引き釜は、生地を流した鍋に上下から熱を加えるため、オーブンの代わりに使いました。当時の製造の様子がうかがえますね。
 明治時代以降は、洋菓子の製法が広まりました。『作りくだもの教へくさ』(一九一二)では、挿絵にワッフルの金型が描かれ、「チョコレート於古志」や「レモン最中」といった、和洋折衷菓子も紹介されています。
 これらのうちのいくつかは、インターネットで公開されており、再現菓子のレシピを掲載したウェブサイトもあります※5。現在の製法と比べてみるのも面白いかもしれません。

小野未稀(虎屋文庫 研究主事)

参考文献

●鈴木晋一、松本仲子編訳注 『近世菓子製法書集成』1、2 平凡社、2003年
●虎屋文庫 『蒐める楽しみ 吉田コレクションに見る和菓子の世界』 2012年

※1 新日本古典籍総合データベース(味の素食の文化センター所蔵) http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100249376/viewer/1
※2 新日本古典籍総合データベース(富山市立図書館 山田孝雄文庫所蔵) https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100267541/viewer/1
※3 新日本古典籍総合データベース(国文学研究資料館所蔵) http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/200021644/viewer/1
※4 新日本古典籍総合データベース(味の素食の文化センター所蔵) http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100249416/viewer/1
※5  『江戸料理レシピデータセット』(CODH作成)
http://codh.rois.ac.jp/edo-cooking/

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資料に見る和菓子 第十三回 No.210

錦絵

 「錦絵」とは、江戸時代中期以降広まった多色摺りの木版画のこと。美術品としてはもちろんのこと、江戸時代の風俗を知る史料としても高く評価されています。今回は、菓子を売る様子を描いたものを見ていきましょう。

 重厚な黒漆喰の壁に、「御菓子司」と書かれた看板。いかにも大店の雰囲気が漂います。この店は江戸深川佐賀町にあった船橋屋織江。江戸屈指の菓子屋として知られていました。買い物を終えて出てきたところでしょうか、店の前には菓子箱を手に持った客が立っています。店内には干菓子などを収めた菓子箪笥が置かれ、番重(菓子を保管・運搬する重ね箱)もあちこちに積まれています。店員は饅頭が入った番重を運んだり、袋に入った菓子を秤で量ったり。忙しく働いている様子がうかがえます。
 また、上がり框に腰をかけ、話をしている客もいます。姿は見えませんが相手をしている店員がいるようです。上菓子(白砂糖を使った上等な菓子)を扱う船橋屋のような店では、店頭販売のほか、結婚や長寿祝い、法事等に合わせて菓子を作る受注販売などを行っていました。この客も、大切なときに使う菓子の相談に来ていたのかもしれませんね。

 各地を結ぶ街道の茶店では、餅や饅頭などさまざまな菓子が売られましたが、なかには旅人たちの評判を得て名物になったものもあります。
 東海道・府中(静岡県)で売られた安倍川餅もその一つ。茶店を描いた錦絵には、縁台に座っている客に店の女性がきな粉をまぶした餅を差し出している様子が見られます。奥の棚に置いてあるのは、皿にのった白い餅。次々にやってくる客に素早く出せるよう用意しているのでしょう。いかにこの店が繁盛していたかがうかがえる一枚です。

 祭礼や縁日、人が集まる市中を題材にした錦絵では、団子や汁粉などを気軽に立ち寄って食べられる屋台がしばしば見られます。左上は、江戸高輪での「二十六夜待(※1)」の様子を描いたもの。人々が行き来している向こう側、屋台の前で男性がおいしそうに団子を頬張っています。屋台の側面には大きく「舂抜(※2) だんご」の文字が書かれていますが、遠くからでも客の目を引くようにという工夫なのでしょう。
 子どもに人気だったのが、飴細工や新粉細工(※3)といえます。飴細工は今でも縁日などで見かけますが、江戸時代には葭の茎の先に飴をつけて息を吹き、風船のように膨らませながらかたちを作ることもありました。注文を聞いて鳥や動物などをたちどころに作るため、子どもたちには手品のように見えたかもしれませんね。

 各地を結ぶ街道の茶店では、餅や饅頭などさまざまな菓子が売られましたが、なかには旅人たちの評判を得て名物になったものもあります。
 東海道・府中(静岡県)で売られた安倍川餅もその一つ。茶店を描いた錦絵には、縁台に座っている客に店の女性がきな粉をまぶした餅を差し出している様子が見られます。奥の棚に置いてあるのは、皿にのった白い餅。次々にやってくる客に素早く出せるよう用意しているのでしょう。いかにこの店が繁盛していたかがうかがえる一枚です。

森田 環(虎屋文庫 研究主査)

※1 旧暦一月と七月の二十六日に月の出を拝む行事で、気候が良いためか江戸時代には七月の方が盛んだった。江戸では海に面した高輪や品川が月を拝むのに良いとされ、多くの人々が集まったという。
※2 よく搗いて作った、の意。
※3 新粉(うるち米の粉)の生地を色付けし、飴細工と同様に、動物などを作ったもの。

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資料に見る和菓子 第十四回 No.211

竹皮

歌川広重「太平喜餅酒多多買」〈部分〉(虎屋文庫蔵)

 今回は、日本の伝統的なパッケージの一つ、竹皮に注目したいと思います。
 竹皮に包んだ食べ物というと、何を思い浮かべるでしょうか。昔ばなしに出てくるような、おにぎりを想像されるかもしれません。いつから食品の包装に使われ始めたのかはわかりませんが、手軽に入手できる素材を使って包むというのはごく自然なことだったと思われます。菓子を包むようになった時期も不明ですが、江戸時代に刊行された、京都の商人や職人についての図説書『人倫訓蒙図彙(じんりんきんもうずい)』(一六九〇)には「竹皮屋(たけのかはや)」の項目があり、「草履、笠、雪駄(せきた)の表(おもて)、其外菓子を包也」と記されています。虎屋でも元禄十五年(一七〇二)の記録に「やうかん六棹ニツヽミ入」とあるほか、図説百科事典『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』(一七一二自序)には、竹皮で包まれた羊羹や外郎(ういろう)餅の図が描かれていることから、三百年前には包装材として普及していた様子がうかがえます。

 

 時代は下りますが、第十一回で一部ご紹介した、菓子と酒が合戦を繰り広げる錦絵「太平喜餅酒多多買(たいへいきもちさけたたかい)」(一八四三〜四六)を見てみましょう。手前の団子の胴体は、「だんご」と書かれた竹皮、左上の羊羹やその前の餅類の武者装束も竹皮ですね。竹皮が描かれた作品はほかにもいくつかあり、菓子箱や菓子袋(第四回)と同様、菓子を入れ、持ち運ぶのに欠かせない存在であったことを感じさせます。

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「船橋入道ようかん」〈部分〉 「四差四文太」〈部分〉 『和漢三才図会』より「羊羹」「外郎餅」〈部分〉
(国文学研究資料館撮影/味の素食の文化センター蔵)

 食品の包装に広く使われた理由として、機能性が挙げられるでしょう。汚れがつきにくく、丈夫で破れにくいことはもちろん、ろう状の膜があり、外部からの細菌を避けてくれます。また、通気性、撥水性もある一方で、余分な水分を放出しつつ、乾燥しすぎないように調湿してくれるという特長も。このほか消臭効果もあるなど、食品を包むのに適した機能が満載といえます。

 また、機能だけでなく、見た目の美しさも魅力ではないでしょうか。竹の種類はもちろん、同じ品種でも斑文様や色の濃淡などに違いがあります。折り畳んでぴったり包んだり、たわめたりと、包み方によっても見た目が変わってきます。こうした工夫により菓子が引き立ち、より美味しく見えるようにも感じられます。錦絵に竹皮包みの菓子が描かれたのは、身近な存在というだけでなく、素朴で趣ある姿に描き手が触発されることがあったからかもしれません。

 残念ながら、昭和三十年代以降(一九五五〜)、紙製の竹皮の模造品の登場やプラスチックトレー、ラップなどの普及もあり、本物の竹皮は徐々に減り、採集業者も少なくなってしまいました。
 入手が難しくなってきた竹皮ですが、現在でも竹皮包みの菓子を大切にしている店はあります。この素材でしか出せない風情や重厚感を、これからも伝えていきたいものです。

小野 未稀(虎屋文庫 研究主事)

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「隅田川遠景」(虎屋文庫蔵)
竹皮包みの桜餅。リアルな斑文様が目をひく。
長谷川貞信「浪花自慢名物尽 駿河屋煉羊羹」
(虎屋文庫蔵)

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「あんころ餅」(圓八)
一つひとつ手作業で包んでいる。
竹皮が餡の水分を調整する役割を果たしている。
「乃し梅」(乃し梅本舗 佐藤屋)
竹皮は、厚みとコシのあるものを選んで用いるそう。
ちなみに、竹皮の採集をする「とり子さん」の熟練者が少なくなり、確保が年々大変になっているという。
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「竹皮包羊羹」(とらや)

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資料に見る和菓子 最終回 No.212

竹皮

図1「江戸の華名物商人ひやうばん」(1815 年)虎屋文庫蔵

 番付といえば、「相撲番付」を思い浮かべる方が多いでしょうか。力士を東西に分け、横綱から序の口まで一覧表にしたものです。江戸時代から続き、現在も行司の毛筆書きを縮小印刷しているといいますから、なかなか手間がかかっています。
 江戸時代後期明治時代〜初期には、これを真似た「見立番付」が盛んに作られました。寺社仏閣や祭り、温泉、職人等、特定のテーマを取り上げて格付けするもので、変わったところでは、「不用競」といって不要なものを挙げ連ねた番付までありました。
 図1は「名物商人」とありますが、江戸の食べ物屋を格付けしたもの。料亭、寿司屋、そば屋などが並ぶなかで、最高位の大関二店はいずれも菓子屋なのが興味を引かれるところです。
 日本橋本町二丁目の鳥飼和泉は、饅頭で知られた店で、錦絵や双六にも描かれています(図2に見えるのは菓子を運ぶ容器の井籠を模した看板)。
 本町一丁目の鈴木越後は羊羹で名高く、その味は「天下鳴(てんかになる)」ともいわれました(図3)。『賤のをだ巻』(一八〇二序)には、ある武士が昇進して先輩をもてなした際に、慣例の鈴木越後でなく金沢丹後の羊羹を出したところ見破られてしまい、土下座で謝ったという話もあります。

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図2「江戸花見尽 隅田川」(1820年代頃)
虎屋文庫蔵
井籠の紋(向かい蝶)で鳥飼和泉のものとわかる。
図3「新板大江戸名物双六」〈部分〉(1852年)
東京都立中央図書館特別文庫室蔵
「鈴木やうかん」(鈴木越後の羊羹)とある。

 ちなみに金沢丹後は、この番付でも格下の「小結」の扱いになっていますが、幕府御用もつとめた名店です。ほかにも餅屋や飴屋、煎餅屋の名前があり、どんな店だったのか、『江戸買物独案内』(一八二四)ほか同時代の史料から調べてみるのも楽しそうです。
 よりテーマを絞ったものでは、江戸の汁粉屋の番付もあります(図4)。江戸時代後期の江戸は、「五歩に一楼、十歩に一閣、みな飲食の店ならずといふ事なし」(『一話一言』)といわれましたが、ここに載る汁粉屋だけでも百余りあるので、飲食店の数は推して知るべしです。
 行司として別格扱いされている「小倉庵」は錦絵にもしばしば描かれた本所の高級料亭で、汁粉が特に有名でした(図5)。また、前頭に見える四ツ谷・蔵前の「船橋屋」は、浅草雷門で繁盛した菓子屋・船橋屋織江の支店の可能性があります*。
 ほとんどが詳細不明で残念なところですが、当時は屋台店も多かったと考えられるので、店の入れ替わりも激しかったのかもしれません。眺めていると、番付をもとに食べ歩いたり、汁粉屋談義に花を咲かせたりする人々の姿が浮かびます。

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図4「当時流行しるこ屋名寄」(江戸時代)
東京都立中央図書館特別文庫室蔵
図5「東都高名会席尽 梅の由兵衛」(1852年)
虎屋文庫蔵
上部に、小倉庵の堂々たる店構えが 見える。

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小倉庵〈図5の上部拡大〉 昔も今も人気の汁粉。

*今村規子「二つの船橋屋織江」
(『和菓子』二十二号、虎屋、二〇一五年)参照。 深川に創業店の「船橋屋織江」があり、雷門の船橋屋はそこから分かれてできた店。

参考文献
石川英輔『大江戸番付づくし』 実業之日本社、二〇〇一年。
林英夫・青木美智男編『番付で読む江戸時代』柏書房、二〇〇三年。

河上 可央理(虎屋文庫 研究主事)

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