身近な生き物 No.217

静かな生き物、ウサギ

うさぎ

 ウサギは静かな生き物である。不満があってもギャーギャー騒がず、楽しいといった顔も見せない。落ち着いた風情がある。だからと言って不満がないわけでも、毎日がつまらないわけでもない。不満があれば大きな後足で地面をバタンバタンと叩くし、楽しければ走ってピョ〜ンと高く跳んで、空中で両方の後足を拍手のようにポンと打つ。

  考えてみれば、ウサギは不思議な体つきをしている。見慣れているからか、ウサギの耳が長いことは当たり前に思っているが、ゾウの鼻が長いのと同じくらい奇妙だ。

 以前、カリフォルニアの平原でジャックウサギが走っているのを見つけた。これはいい機会だと、二手に分かれて挟み撃ちにして草むらに潜んだところを写真に撮る計画を立てた。膝の高さくらいの草の間をガサゴソとゆっくり進んでいったとき、目の前からいきなりウサギが跳び出した。ピョーンと高く跳び上がったかと思ったら、あっという間に地平線まで続く草原の果てに消えていった。まさに脱兎のごとく、実に速い。声も出さず、音も立てずに、消えていった。
ウサギは静かな生き物なのである。

うさぎを追いかける

illustration by 小幡彩貴

今泉忠明(いまいずみ ただあき)

大ベストセラー『ざんねんないきもの事典』(高橋書店)の監修でも知られる動物学者。奥多摩や富士山で調査研究を行うかたわら、2020年には「けもの塾」を設立、子どもたちのためのフィールドワークなども催している。

身近な生き物 No.216

野原にいたイヌ

笑っている犬のイラスト

 どこからか「ウォーン!」という遠吠えでも悲鳴でもない叫び声が聞こえてきた。私は「どこかでイヌが鳴いている」と思っただけで、さして気にも留めなかった。声はじきに止んだ。
 その時、私はモグラ捕り用のワナと小さなスコップをもって、野道をぶらぶらと歩いていた。道はやがて細くなり、緩い上り坂となった。背丈ほどの灌木がところどころに生えた見晴らしの良い草原だった。モグラのトンネルを探して、ここぞと思うところにワナを仕掛けて、モグラを標本にするのだ。
 時々しゃがんで地面を掘っ繰り返して、良さそうなモグラのトンネルを探していたが、イヌの声がまた聞こえてきた。今度は近くから聞こえた。

シャボン玉
犬とシャボン玉を吹いている女の子

 モグラのワナ掛けを中断して、イヌを探した。野道をさらに登っていくと、道から離れた茂みの方から声が聞こえた。ゆっくりと近づくと、淡い褐色の柴犬の雑種のような小型犬が吠えていた。うっかり近づくと咬まれるかもしれないな、と注意しながらさらに近づくと、イヌは吠えるのを止めてこちらの動きをじっと見ていた。どうやら動けないでいるようだった。
 首のあたりを見ると、鎖が灌木にからまっていた。たぶん鎖が解けたことを良いことに遠出を楽しんでいるうちに、引きずっていた鎖が灌木に引っかかったらしい。グルグル回っているうちに動きがとれない状態になったようだ。
 しばらくイヌの様子を観察したが、どうやら怒ってはいないようだ。いや、イヌが勘違いして、私が縛りつけたなんて誤解していたら怒っているはずだから用心したのだ。
 首の後ろ側から静かに鎖を解いていった。そして首輪から鎖を外して、灌木に引っかけた。イヌは自由になるとブルルッと体を震わせ、礼も言わずにスタスタと野道を下って行った。振り返りもしなかった。
 私はまたモグラのトンネル探しに戻った。

illustration by 小幡彩貴

今泉忠明(いまいずみ ただあき)

大ベストセラー『ざんねんないきもの事典』(高橋書店)の監修でも知られる動物学者。奥多摩や富士山で調査研究を行うかたわら、2020年には「けもの塾」を設立、子どもたちのためのフィールドワークなども催している。

身近な生き物 No.215

パンダの出産時期と食べ物の深い関係

 四季のある地域に棲む動物は、ふつう春に子を産む。特に、大形野生動物はそうである。熱帯地方では決まった繁殖期はなく、いつでも子が見られるが、これはいつ生まれても暖かく、食べ物も豊富で子が育つからだろう。また、温帯では暖かくなる春に生まれた子の生存率が高いことから、長い年月の間に、ほとんどの動物が春に子を産むようになってきたに違いない。例外もいるが、その代表がジャイアントパンダである。
 パンダの多くは、6月に超未熟な子を産む。子の体重は、およそ100g。親の体重の900分の1しかない(ちなみに人は約20分の1)。歩き始めて、動く縫いぐるみのように可愛くなるのが3か月後。6月生まれならば9月で、亜高山帯ではもう秋の紅葉が始まるほど冷えてくる。一人前の子パンダになる頃には冬がやってきて、あたりは雪で覆われてしまう。

パンダに抱っこされている女性

 これではちょっと生まれるのが遅すぎ、と思われるかもしれないが、パンダが棲むタケの林は密生していて、天敵のヒョウやドール(アカオオカミ)もなかなか入ってこない。
 さらに、雪が降ると上の葉の部分に雪が積もるから、葉の下に空洞ができ、パンダはその空洞部分で冬を過ごす。雪はひどい寒さを防いでくれるし、食べ物の90%以上を占めるタケはいくらでもあるのだから快適な環境である。子パンダも寒ければ母親に抱いてもらえるし、まだ乳を飲んでいるので空腹にはならない。そして、生後6か月くらいからタケを少しずつ食べ始め、1歳になる頃、完全に乳離れする。うまくしたもので、その頃、山は子パンダでも食べやすいタケノコのシーズンである。
 動物園でパンダの親子を眺めていると、とても野生動物と思えないほど呑気そうに暮らしている。だが、実はパンダは過酷な環境によく適応した動物なのである。

子どもパンダ3匹

illustration by 小幡彩貴

今泉忠明(いまいずみ ただあき)

大ベストセラー『ざんねんないきもの事典』(高橋書店)の監修でも知られる動物学者。奥多摩や富士山で調査研究を行うかたわら、2020年には「けもの塾」を設立、子どもたちのためのフィールドワークなども催している。

身近な生き物 No.214

ネコは人とは味覚がちがう

 人はさまざまな味を楽しむ。三食のほかに、やれ口さみしいとか言っておやつなど間食をする。果物、煎餅、チョコレートなどだが、あられとお茶は私なんかの定番だ。
 子どもの頃、セロファン袋を破ってあられを一つ口に入れようとしたとき、その音を聞きつけて飼っていたネコのミケが音もなく近寄ってきた。鼻を突き出すから、欲しいのかなと一つつまんで鼻に近づけると、プイッと横を向き、セロファン袋の匂いを嗅ぐと行ってしまった。
 今思えばネコのこの行動は「確認」しに来たのである。パリパリとセロファン袋を破く音を聞いて、もしかすると事件かなと、自分の縄張り内での出来事を調べに来たのだ。ネコは縄張りの中がいつも通りで、平穏なことを一番好むからである。何か異常がないかを、鼻を突き出して目と匂いで確認した。別にあられを食べたいわけではなかった。
 ネコは、残念ながら人と味覚がちがう。人はふつう甘味、酸味、塩味、苦味、うま味の五味を感じるが、ネコはこれを感じない、とされる。ならばどんな味を感じているのか……。こればかりはネコに聞いてみなければ正確なところは分からないのだが、古くから動物学者がいろいろと調べてきた。その結果、今ではネコは酸っぱさ、苦さ、塩辛さを、この順で強く感じることが分かっている。人と大きく違うのは舌に「甘味」に反応する味蕾がないことと、美味しい肉(タンパク質)、つまり良質のアミノ酸を感じる能力があることだ。想像するにネコは、人が甘いお菓子を食べたときの美味しさを、良質のアミノ酸を食べた時に感じているのかもしれない。

illustration by 小幡彩貴

今泉忠明(いまいずみ ただあき)

動物学者。長年、動物の調査研究に取り組み、伊豆高原ねこの博物館館長、日本動物科学研究所所長などを歴任。2020年には子どもたちのためのフィールドワークなどを催す「けもの塾」を設立。著書に『誰も知らない動物の見かた~動物行動学入門』(ナツメ社)、『巣の大研究』(PHP 研究所)、監修書に「ざんねんないきもの事典」(高橋書店)ほか多数。

人生の節目 No.213

初誕生の一升餅、七五三の千歳飴

 人の一生には、さまざまな節目があります。和菓子は、誕生、七五三、成人式、結婚式、長寿祝いなどの祝い事と共にあり、葬儀や法要などの不祝儀にも用いられています。
 1月の祝日「成人の日」を中心に開催される成人式の式典では、礼装した若者たちの晴々しい笑顔が見られます。成人の内祝いには、お世話になった人たちへの感謝を込めた紅白饅頭など縁起の良い意匠の和菓子が使われます。
 そして人生の大きな節目と言えば、結婚式でしょうか。多くの人に祝福され、新郎新婦が新しい人生を歩み出す儀式ですが、双方の親族などが立ち会って縁を結ぶ行事でもあります。吉祥色の餡を包んだ小饅頭を入れた大きな饅頭「蓬莱山(蓬が嶋)」や、鶴亀、松竹梅などの菓子が慶事を寿ぎます。
 一方、親しい人と現世での縁を切る人生の節目もあります。葬儀で使われるのは黄白や青白の饅頭。シノブヒバの焼き印を押した「しのぶ饅頭」を使う地方もあります。こうした不祝儀の饅頭は大きいのが特徴で、分け合っていただきます。悲しみを分かち合い、故人が結んでくれた縁を共に感謝する―饅頭を分け合う意味は、そこにあるのです。
 万物は無数のめぐりあいや結びつきによって形成されています。私たちは縁で結ばれ、時に縁が離れたりしながら生きています。このような縁によって万物が生じ起こることを「縁起」といいます。
 人生は、縁起の連続といえます。私たちの人生は、誰かの人生にしっかりとつながっています。その連鎖が、人生を豊かに、素敵にしているのです。そうした人生の節目に、いつも和菓子が寄り添っています。

illustration by 小幡彩貴

板橋春夫(いたばし はるお)

民俗学者。日本工業大学建築学部教授、慶應義塾大学大学院非常勤講師。博士(文学)、博士(歴史民俗資料学)。「いのち」をキーワードに誕生と死について調査研究を進めている。

成長 No.212

初誕生の一升餅、七五三の千歳飴

 満1歳の誕生日が、初誕生です。明治以前に毎年、誕生日の祝いをしていたのは天皇家や公家、大名などだけで、一般の国民は誕生日を祝う習慣がありませんでした。しかし、この初誕生の祝いだけは、一般の人たちも昔から満年齢で祝いました。
 初誕生では近親者が集まって子どもの成長をにぎやかに祝いますが、昔も今も赤ちゃんに「一升餅」を背負わせる家が多くみられます。一升餅は、米の「一升」と人生の「一生」の語呂合わせで、赤ちゃんが一生裕福に暮らせるようにとの願いが込められています。
 ところで、日本で満年齢が使われるようになったのは明治以降のことで、それ以前は正月元旦に国民が一斉に年を取る「数え年」を用いていました。満年齢で数えるのが一般的になった現在でも、子どもの成長祝いや厄年、葬式の享年には数え年が使われています。
 なかでも七五三は、日本中で見られる通過儀礼です。3歳で髪置き(男女)、5歳で袴着(男)、7歳(女)で帯解きの祝いをした中世の貴族や武家社会で行われていた儀式に遡るもので、7・5・3は吉兆の数字です。
 11月15日を中心にした吉日に、3歳と7歳の女児、5歳の男児が晴れ着に身を包んで神社にお参りします。手には、縁起のよい図柄の袋に、長寿を願う紅白の長い飴の入った「千歳飴」。子どもと家族の明るい笑い声が、神社の境内に響きます。

illustration by 小幡彩貴

板橋春夫(いたばし はるお)

民俗学者。日本工業大学建築学部教授、慶應義塾大学大学院非常勤講師。博士(文学)、博士(歴史民俗資料学)。「いのち」をキーワードに誕生と死について調査研究を進めている。

お宮参り No.211

餅で栄養、小豆で厄除け

 赤ちゃんが初めて氏神様へお参りすることを、お宮参り(初宮参り)といいます。いまは著名な神社に参拝する家族が多いようですが、本来は生まれた土地の氏神様の氏子になる儀式でした。日取りは生後30日頃が多いものの、福井県敦賀市周辺のように、生後100日目に行うところもあります。
 お宮参りでは、赤ちゃんがこの先、災厄を被ることのないように、ひたいに「大」「小」「犬」といった文字を描くなど、魔除けをする風習がいろいろあります。
 また、大阪などでは、親戚や近所の人がお金の入った祝儀袋を水引でくくって赤ちゃんの祝着に結ぶ「紐銭(ひもせん)」という習わしが行われています。これは、一生お金に困らないことを願うものとか。金沢には昭和初期まで、親類縁者100人から着物のはぎれをもらって産着を縫う「百徳着物」という習俗もありましたが、いずれも多くの人からパワーをもらうことを意味しています。赤ちゃんは、神様の加護とともに周囲の人からさまざまな助けを受けて育っていくのです。
 お宮参りの日には、出産祝いを贈ってくれた親戚や知人に、内祝いとしてお返しをします。内祝いには、赤飯や紅白饅頭、鳥の子餅(鶴の子餅)など、ハレの日にふさわしい色や意匠のお菓子が使われてきました。赤は邪悪を払う色、白は清浄を象徴する色。そして、楕円形に作る鳥の子餅の形は、誕生と成長を象徴する卵に似せたものです。
 お宮参りは、赤ちゃんの健やかな成長を祈る重要な儀礼として、今も大切に伝えられています。

illustration by 小幡彩貴

板橋春夫(いたばし はるお)

民俗学者。日本工業大学建築学部教授。博士(文学)、博士(歴史民俗資料学)。「いのち」をキーワードに誕生と死について調査研究を進めている。